xshimmyのブログ

日々の雑感を書いています。

「赤い国」とグッバイ・レーニン

『セカンドハンドの時代 「赤い国」に生きた人々』が面白い予感しかしていない。1917年に革命によって生まれ、1991年にペレストロイカによって滅びた国、ソ連。70余年に及ぶ壮大な社会実験は、そこで生きた人々にどんな人生を与え、どのような感性を残したのか。祖父が銃殺され、父が数十年も収容所から帰ってこないことが日常になっている国でおとずれた、突然の「自由」。配給でぼろぼろの靴下しか手に入らなかったのが、外資のオシャレな靴下を「買うことができるかもしれない」可能性が広がったこと。そうした状況に耐えきれず、スターリンを信奉する若者。対して、ソ連崩壊後情報公開してみたら、信じていたトロツキーが「え?○○町から餓死の報告?いや、ローマがエルサレムを攻めたとき、母親がわが子を食べるとかあったじゃん。そーゆうことがあったら初めて“餓死”って言えるんじゃないの?」とか公文書で言っていたりしたことを知ったかつての赤い国を生きた人々の心情。

僕は『グッバイ、レーニン』とかいい映画だなぁって思っていて、けっきょく国とか制度とか民族とかみんなフィクションなんだけど、その...フィクションによって生きる人たちって確実に存在しているし、しているんだけど、でもそこで生きている人たちのことをあんまナメなって思ったりする。

なんかこう、本と映画って相乗効果的なところがあって、この本を読み始めたときにばっちり『グッバイ、レーニン』的なあれこれが浮かんできたんだけど、だいぶ前に観たやつだから記憶曖昧で、その曖昧な感じが読書の邪魔にならず、良い感じの感受性の補完になってくれたりした。この本が面白いなぁと感じれたのには、いろんな積み重ねがあったからだと思う。

感受性が強い人もたくさんいるけれど、僕の感受性はけっこう後天的に得たものだった。自分でもこの前、『ファンタスティック・ビースト』を観て泣いたのにはびっくりした。本と映画は、人にもよるだろうけども、触れるのであれば、なるべくたくさん触れるべきだ。たぶん、中途半端はよくない。メジャーなものもマイナーなものも、高尚なものも低俗なものも、とにかく分け隔てなく。その結果として得られるものは涙もろい感性と、いろんなことを楽しめる呑気さいう、なんとも非合理的なものであるが、悪くない。実に悪くない。『ベイマックス』や『横道世之介』にじ~んとする年末は良き年末だったし、『クリーピー~偽りの隣人~』にびくっとする年始は良き年始だった。映画観るし、本を読むぞー。どんどん行くぞ~。