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xshimmyのブログ

日々の雑感を書いています。

断片的なものについて

『断片的なものの社会学』読書会に参加した。本書に載っているそれぞれの断片にともかく感動しきりだった。

たとえば、異性装者のブログ。男の人が女の子の格好で写っている。そこには何のエクスキューズもなく、日々の雑感とか、ニュースにただ感想を書いたりとかされた文章に、普通の女の子が写真を載せるように、異性装の方の写真がアップされている。

ある種の信念を持って、それをやっていたら良い。「なんでそんなことしてるの?」とその方に質問して、(本気できょとんとして)「え?」て顔されたらさらに良い。

...

個性的であることは、普通たるマジョリティから常に暴力にさらされることであって、とてもつらい。だから予防線をはる。「ストレスがあって」とか「小さなころから自分の性に違和感があって」とか。

そうして予防線をはることで、その人の個性は、マジョリティからの「寛容さ」によって「許される」。「疲れてるのね」とか「そんな生き方もアリだよね」とか。

そんな社会は貧しい、と思う。

なんでただそこでやりたいことをして、誰にも迷惑をかけていないのに、マジョリティの「寛容さ」にすがって「許され」なきゃならんのか。ただそこに在るだけで良いじゃんか。
この人が、そんな信念を持っていたら格好良いし、そんなこと思いもよらずただそこで異性装をしているだけだったら、素敵すぎる。

こーゆうとこに感動できるうちはまだ大丈夫だと思う。読書会でここの部分での感動を分かち合えるというのは豊かなことだ。

普段の生活はラベルに満ちていて、我々はそのラベルに見合うよう過剰適応しているので、いざただの人になったとき、話ができない。
たとえば、電車で隣に座った人に、最近育ててる植木鉢の話とかできない。

異性装の方が生きる、あるいは生きようとしている社会は、たまたま隣に座った人と、植木鉢の話ができる社会かもしれない。なんか、良い。