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xshimmyのブログ

日々の雑感を書いています。

言葉と、その人

漫画『深夜のダメ恋図鑑』。男は生物学的に浮気するもんなの、とか本気で言うような、まあダメな男たちをひたすらディスる漫画である。

そのディスのうちの一つで、イヤそれは違うんじゃないか、というのがあったので、書いてみる。

中級程度の英語能力でオレできる自慢をする男に対し、「そんな日本訛りの英語でよく恥ずかしくないね」的な意見を述べるシーン。

...

イヤ、恥ずかしくないんじゃね?と僕は思う。
イタリア系、アイルランド系、アフリカ系。みなそれぞれのルーツを持っている。訛りは、言葉遣いは、その人やその人の家族、先祖が抱く故郷や故国につながる大切なものかもしれない。言葉遣いを否定することはその人のルーツを汚すことであって、いかがなものか、と感じる。

英語を母国語として使う人たちをネイティヴとし、そのネイティヴに近い発音ができることで自身の優位性を誇示し、「日本訛り」を蔑む行為。先にメリル・ストリープが「権力者に差別を肯定させたら、我々の敗北だ」と言った状況である。

『アデーレ 名画の帰還』なる映画では、「私はオーストリアの言葉ではなく、英語で話したい」という女性が主人公になっている。オーストリア系の彼女はナチスによって、家族や友人を奪われ、そうした行いを許した祖国を憎悪している。かつて家族や友人や恋人とささやかで大切な話をしたはずの母語を、唾棄するほどの憎しみと哀しみ。楽しかった素晴らしかった思い出よりも、憎悪と悲哀を呼び起こすようになってしまった母国語を、彼女はけっきょく喋らなかった。

ことほど左様に、言葉はその人の根幹を成すものの一つである。確かに彼氏が、オレ英語喋れる自慢をするのはいただけないかもしれない。売り言葉に買い言葉かもしれない。しかして言葉遣いでもってその人を蔑むのはよくない。

欧州からの宗教難民たちが創ったアメリカなる国は、ネイティヴアメリカンを虐殺し、血みどろの独立戦争南北戦争を経験し、奴隷制と向き合ってきた。ウッドロー・ウィルソンの頃から、アメリカは世界に介入し、理念を広げようとした。すでにイギリス、フランスが世界のほとんどを植民地化していたから、理念でもってそれらを解体する必要があった。たぶんに打算と計算があったものの、アメリカの理念は、「各地の母国語訛りの英語」を許容してきたように思う。

日本語訛りの英語、というわけで、別によいじゃないか。ちなみに、その彼氏とは別れた方がよいように思う。