xshimmyのブログ

日々の雑感を書いています。

打ち上げ花火 観てきた。

打ち上げ花火、下から見るか?横から見るか?』観てきた。

納得のいかない現実Aがあり、別の可能世界Bに移行しようとする、タイムリープ+中学生の純愛もの。

「1993年に放送され、95年に劇場公開もされた岩井俊二監督の名作テレビドラマを、「モテキ」「バクマン。」の大根仁による脚本、「魔法少女まどか☆マギカ」の新房昭之の総監督でアニメ映画化。とある海辺の町の夏休み。中学生たちは花火大会を前に「花火は横から見たら丸いのか?平たいのか?」という話題で盛り上がっていた。そんな中、クラスのアイドル的存在のなずなが、母親の再婚のため転校することになった。なずなに思いを寄せる典道は、転校をしたくないなずなから「かけおち」に誘われ、時間が巻き戻る不思議な体験をする。声の出演は、なずな役を広瀬すず、典道役を本作が声優初挑戦となる菅田将暉、典道の恋敵となる祐介役を宮野真守がそれぞれ務める。」(引用元:映画.com

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タイムリープものなので、2つ。

・現実Aから可能世界Bに移行するプロセスは正しいことなのか?
・当該プロセスが正しいとして、可能世界Bは正当な世界なのか?

プロセスについて、自らの意思でタイムリープする場合と、自らの意思に反して時間の円環のなかに閉じ込められ、そこからの脱出を図る系がある。今回は自らの意思で、特定の時間軸に戻ることができるパターンなので、動機の正統性(時間を巻き戻す理由が正しいか?)をみてみる。

時間の巻き戻しはいずれも、ヒロインのなずなが母親たち大人に連れ去られるシーンで主人公の典道が発動させている。中学生同士なので、当然に選択肢は少ない。親が決めたことには従わなければならない。なずな自身はそうした状況だからこそ、「この1日だけは」と思っており、典道は「なずなと離れたくない」という想いがある。

その動機は「周囲がどうあれ、大切な人と一緒にいたい」というところにあり、これは親や友人などその他の関係性一切を捨象した「二人の世界」に閉じこもることでもあって、まあこの辺は好きずきかもしれない。この動機、プロセスを良しとみるかは人による。ちなみに僕は良しとみる。

映画の冒頭近く、なずながプールで昼寝しているところに、赤とんぼがとまるシーンがある。なずなは典道に「とって」と言うのだが、典道は「赤とんぼ=夏の終わり」を「とりそこねる」。承知しました、タイムリープによって先に進むのでなく、「終わらない夏」を繰り返して純化する系ですね、と僕は思う。

さて、もう一つ。「終わらない夏の1日=可能世界B」は「正しい世界」なのか?

タイムリープものにおける可能世界Bは本来の時間軸にそった現実Aではないことを示すため、しばしば違和のある仕掛けをおく。本作品の仕掛けの一つは打ち上げ花火の見え方で、可能世界Bでそれを見た典道は「これは正しい世界じゃない」と言う。

ここでまた倫理問題。正しい現実Aをとる場合、可能世界Bのなずな(大切な人の幸福な状況)は失われる。なずなの幸福をとる場合、「正しくない」可能世界Bがずっと続くことになる。

その答えは、なんというか、シャフトの映像技術と、広瀬すずの才能で乗り切った感があった。結論としては『ラ・ラ・ランド』だ。シャフトは登場人物をアップにしたりスローモーションを多用したり感情を増幅させる映像表現に定評があり、また広瀬すずは清純派じゃないのに清純派ぶってる的批判があるけれども才能は確かにある。謎多き美少女役の声に合ってる。

この結論で締めて、「うん、良かったのだ、これで」と感慨を持たせるには、やっぱり演出の力かなー、と改めて思った。

イヤー、映画、面白し。