xshimmyのブログ

日々の雑感を書いています。

コミュニケーションについて

花田菜々子『出会い系サイトで70人と実際に会ってその人に合いそうな本をすすめまくった1年間のこと』を読んだ。良書だった。

僕もよく読書会に参加するから、分かる分かるーって場面も多かった。本を通しての交流は、「植木鉢理論」みたいなものだ。人と人は、ダイレクトに言葉を伝え合うカタチでは、うまコミュニケーションがとれない。植木鉢が間にはさまっているくらいがいい。特に本のような植木鉢だと、その人の奥にじーんと入り込んでいくこと、あるいはその人の深いところを薄ぼんやり感じ取ること、などができる。その可能性がある。

しかして、やはり人同士の出会いなので、「え~」というものもある。この本に書かれていることとまでは言わないけども、コミュニケーションのあまりの断絶ぶりに絶望するケースだってある。

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貴戸理恵『「コミュ障」の社会学』によると、コミュニケーションは「他者や場との関係によって変わってくるもの」だ。この、状況によって変わってくるものを、コミュニケーション能力のあるなしとして、個人化してしまうことが現代の難儀なことの1つ。「私」と「あなた」がいての相互作用なのだ、コミュニケーションは。初めて同士の人が多い場においては、「私」も「あなた」もなかなか出てこない。だから安心してもらう場を作ることって大事で、それができないとふわっとして終わる。

引用の引用になるが、国谷裕子『キャスターという仕事』にあった、「聞と聴」の考え方。肝要なのは、聞こえてくるように聴くこと。聴に徹しながら聞こえてくるのを待つこと。観察力と想像力だ。たとえば高倉健は、インタビューが難儀な俳優として通っていたが、聴に徹しながら聞こえてくるのを待っていたら、ぽつりぽつりと話を始めてくれたという。高倉健には高倉健のリズムがあり、それはしばしばインタビュアーとズレていたのだが、リズムが合えばコミュニケーションは成立するのだ。

それと、集団におけるコミュニケーション、というか方向づけについて、ロバート・ムーア『トレイルズ 「道」と歩くことの哲学』には、羊の群れを御す簡単な方法は、「集団の欲求を受け入れること」。彼ら彼女らが進みたい方向を受け入れつつ、その欲求にそったカタチで道を整える。

などなど。