xshimmyのブログ

日々の雑感を書いています。

フランス・ドゥ・ヴァール『動物の賢さがわかるほど人間は賢いのか』

動物実験をするとき、その動物の本質を想像しないと、検討違いの結果を招くことがある。たとえば、ゾウの鼻は「目」並みの感覚器官なので、鼻をふさがれるとほとんど「盲目」になる。だから、高い位置にある食物をとる時、鼻を使わないととれないような条件設定をすると、ゾウは警戒してそれをやらない。その代り、踏み台を持ってくるなどの条件設定にすると、なんなくそれをこなす。

 

「特化」というらしい。つまり、「動物は知る必要があることしか知らない場合が多い」。人は逆に、将来何の役に立つのか分からないがとにかく色々手をつけたりする。無関係なもの同士をつなげることが創造だ、とか言われるくらい。それはたぶん、時間軸の違いもある気がする。人は一人ひとりの自我がとても強いから、自分ひとりの人生のうちに、進化しようとする。動物は、もっと世代レベルの時間軸で進化するから、動物いっぴきの時代にやれることはちょっと少なくて、だからこそ目的的になるのかもしれない。

 

ところで、僕ら人と、動物を分けるものは何だろう。

 

その分けるもののひとつに、「言語」があるけれども、「言語」が扱えるということは、そんなに優位なことなのだろうか。サル、ゾウ、イルカは、他者の心的状態を把握する能力が優れている。自分以外のものに共感できる。言語は思考自体をある枠にはめこむものである。とても便利だけど、もやもや~っとしたアレコレと、言語の間にはズレが出たりする。言語に頼っているからこそ生まれる、ズレ。

 

シェイプ・オブ・ウォーター』も、ヒロインは手話を使い、イケメン半魚人と心を通わせていた。異種同士の一目惚れだった。言語が使えないからこそ、相手の表情、しぐさ、場合によっては温度や鳴き声から、心を通わせ合う。

 

人間は、言語を持ったことで、「特化」したのかもしれない。同じ言語を持つ共同体でみんな一緒、という幻想を抱くために。過去や未来まで含め、「仲間」だよねって確認をするために。しばしば、人は進化の系統樹の一番先端のように扱われるけれど、進化は実は、人の手前でとまっていて、その先は単に人が特化しただけなのかも。動物並みに共感力がないケースがしばしば人に見られるのは、そのためだったりして。