xshimmyのブログ

日々の雑感を書いています。

ブレイディみかこ『子どもたちの階級闘争 ブロークン・ブリテンの無料託児所から』

「社会が本当に変わるということは地べたが変わること」

 

生活保護を手厚くすることでモラルが崩壊する、としたサッチャー政権以降、英国は下層の人たちを切り捨ててきた。カンヌで賞をとった『わたしは、ダニエル・ブレイク』では、フードバンクでの順番を待ちきれず、その場で缶詰などをすぐに開けて人目も気にせず食べ始めるシングルマザーの女性が登場する。食べる、という行為はとても無防備なものだ。だから我々は親しい仲、あるいは親しくなろうとする仲としか、他人とご飯を食べない。「食べる自由」を奪うことは、そのまま人間の尊厳を奪うことに直結している。

 

本書では、まんまこの映画に出てきたような人が登場する。

底辺託児所(貧乏でありながらも笑いと多様性に満ちていた場所)から、緊縮託児所への転換。緊縮託児所に通う、または通わざるを得ない人たちは、分断されている。“チャブ”と呼ばれる、英国下層文化を形成してきた人たちを、上昇志向の強い移民の人たちは忌避している。たとえば、くちゃくちゃガムを噛みながらメタルな恰好で汚いロックな言葉を話すような女の子を。

 

しかし、その女の子は、ちびちゃんたちに人気がある。朗読に迫力があるからだ。

 

僕もまた、成長するにしたがって、いわゆる「うぇーい」文化を失ってしまった。

言葉遣いを、論理的で礼儀正しく矯正してきてしまったがために、他人の心にどーんと響いていくような、煌めきを感じ取れなくなってしまった(もともとなかったかもしれないが)。小学生の頃、語彙は少なくとも、もっと友だち同士通じ合っていた「感じ」があった。「うぇーい」だけで、どこにでも行ける気がした。

 

「階級を昇っていくことが、上層の人々の悪癖を模倣することであれば、それは高みではなく、低みに向かって昇っていくこと」である。

階級を昇り切った人たちが、地面に立って生きている人たちから食べる自由を奪い、人間の尊厳を無自覚に奪っている。「うぇーい」文化を亡くした人たちが。

 

けれども、これは「可哀想な人たち」の話じゃない。ある人たちを「可哀想」と言うことは、その人の人生の在り様を否定することだ。人間なめんな。勝手に可哀想とか言って、その人の笑いや楽しみを「なかったこと」にすんな。子どもたちと、子どもたちをとりまく大人たちの奮闘からは、そんな強さを感じる。

 

英国の強さはここにある。