xshimmyのブログ

日々の雑感を書いています。

キモチワルイの境界

境界を越えるとき、または、境界が曖昧になる時、「キモチワルイ」感覚が起こる。

 

事例1

電車の中でお互いに触り合うような、本気度の高いイチャつきをしているカップル

⇒二人の境界がなくなっており、また、二人と世間との境界が曖昧になっているから見ていてキモチワルイ(見なきゃ良いことではあるが)

 

事例2

むんむんおじさんから来る、超パーソナルなアドバイス(「子ども作れよ~」)

⇒個人の思想信条という、ATフィールド内に使徒のごとく執念深く入ってくる感じがキモチワルイ。

 

事例3

ぬめっとした蛇

⇒胴体とか足とか、境目みたいなもんが何もなくてキモチワルイ

 

僕は他人と接する時、なるべく壁を作っていたい。壁を越えてきたり、溶かそうとするような行為や話題は、キモチワルイなぁと思う。まあしかし、その壁を越えて生身で打ち合うからこそ生まれるナニカも確かにあるわけで、じゃあ一体そのナニカって何なのか。

 

なんつーのかな、事例1はもうカップルならば仕方なくて、見えないトコでやって欲しい。事例3も同様。人間社会の目の届かないところにいて欲しい。ところが事例2の事態にあっては難しくて、それはコミュニケーションの始まりのところでもあるし、コミュニケーションの最中にぽろっと出てしまう可能性もあるものだ。

 

相手と自分との、境界を尊重すること。

それだけでは足りなくて、自分が変わる可能性を楽しむこと。

境界を越えられたり、境界が溶け出してくることがキモチワルイのだとしたら、新しい境界を築ける自分になれば良い。また、相手に対しても、相手が変わる可能性を信じること。つまるところ、相互変化が楽しいんじゃないか。