シミーのブログ

好きなもの。読書会、少女マンガ、人文系、宇宙、社会学、ノンフィクション、、、と、好きなものを羅列していけば何かがつかめる気がしています。ブログは主に世の中に対するぼんやりとした主張です。よろしくお願いします。twitter @koro81k

「キミスイ」に感動できない問題

住野よる『君の膵臓を食べたい』。通称「キミスイ」。流行モノに素直に感動できず、穿った見方をしている自分は感性が退化しているな、老害だな、と感じる。まあ、老害という言葉は良くなくて、嫌なヤツというのは世代を問わず嫌なヤツなので、ただの「害」である。彼・彼女自身の「害」になる部分を、世代的な問題に一般化してわざわざ「老害」と呼ぶ必要はない。すなわち僕が「キミスイ」に抱く感情はただの「害」である。

 

前置きが長くなった。

ここからはネタバレも含むので、そういうのが嫌いな方、気持ち良い感情のままで本作品を堪能されたい方はしばしお別れ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ヒロインの山内桜良は不治の病、膵臓に疾患を抱えている。後半で名前が明かされる主人公の志賀春樹は、人に興味のない自分の世界にこもった人間だったが、桜良の明るい性格に惹かれ、最期には人前で怒り、泣く、感情を出せる人間になった。

 

まあなんか、主人公の、「○○してあげる」という言い方から来る、そこはかとない上からな態度や、「食欲を見失う」など些細な言語表現にものすごく違和感がある(欲求は見失うものなのか?失うんじゃなくて?)ことは、何歩か譲って良しとしよう。

 

問題は、人の描き方である。

 

ヒロインの桜良は、実は病気でなく、「通り魔」によって刺殺される。この通り魔は物語の前半部で、一応、軽く触れられている。だからそれは伏線といえば伏線だ。突然、事故で死んだとかじゃない。桜良はもともと、余命わずかだったので、「共病日記」や遺書などを残しており、それが生前の彼女の明るさそのままに書き残されている。だから物語はなんとなく、彼女は彼女の生を全うし、主人公は明るい方向に進み、彼女の周囲の人たちもそれぞれに救われて良かったね、という感じになる。

 

なる。が。

 

桜良、殺されてんだぞ、とか思う。

自然現象や事故でなく、明確な殺意を持って、通り魔に殺されてんだぞ。

特に、主人公の反応とかが、「こんなに唐突に死ぬと思わなかった、びっくり。でも、どのみち病気で死ぬのは確定的だったのが早くなっただけだよね」という風に感じられ、ただ不快だった。突然のことだし、通り魔に怨みを抱け、とかありきたりなことは言わない。けれど、それまで元気でいた娘(それも、自らの死を自覚し、日々を大切にしようとしていた娘)が亡くなった原因に対し、もっと言葉にできない感情を抱いても良いんじゃなかろうか。それを描くのが小説じゃなかろうか。

 

人の死の、弔い方は人それぞれだ。

芥川などは、葬儀をしている場においても、そこに集まった人々が何を考えているかは分からない、みたいな話を描いた。だから葬儀に行かなくても(行けなくても)、霊前で何を祈る気持ちになれなくても、それはいい。

 

ただ、あまりに薄くありすぎませんか。人間性が。

『共病日記』を読んで、彼は泣く。彼女が、彼を本当に大切に想っており、友達でも恋人でもない、とにかく名づけようのない関係に救われていたことを知るからだ。ただ、その前に、彼は桜良の母親に、「泣いてもいいですか」と確認をとっている。

 

この確認とかねー、嫌だわ。

この土壇場になっても主人公は場の流れに応じた草舟的態度を崩さない。ヒロインの親友と友だちになったと言っても、それはヒロインの遺言に草舟的に流されてやってるようにしか感じない。要するに彼は本質的に何も変わっていない。彼は変わらず彼のクローズド・サークルのなかにいる。そこに明確な「他者」がいない。他者がいないから、ギリギリの葛藤がないし、葛藤がないから人間が薄い。

 

いや、こんだけ流行った作品にこの感想。自分の感性が時代に置いてけぼりにされてるな、とホトホト思う。ご不快に感じた方がいらしたらすいませんでした。