シミーのブログ

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家族とごはん

瀬尾まいこ『そして、バトンは渡された』を読んだ。

主人公の優子には、父親が3人、母親が2人いる。家庭環境が劇的に変わっているけれども、優子自身は変わっていくというより、もともと在った良いモノにさらに色々な要素が付け加えられていくような感じ。映画『スラムドッグ$ミリオネア』のように、過去にあった体験が現在の自分を強くしているような、芯の通った人になっていく。

 

たとえば、「友だちか、親か」という選択。

 

優子は学校でいじめに遭った際、「友だちが何より大事なんじゃねーの」と一部女子から責められる。確かに友だちは大事なのだが、それは、血縁のある親という疑いもしないくらい大事なモノが前提にあってこそ、選べる選択である。リアルに、血縁のある親について行って友だちが誰もいない世界に行くか、血縁のある親と離れて現在の友だちがいる生活を優先するか。そう問われたとき、選べるものだろうか。

 

家族は、性格や人間性が違っても、一緒にいられる、不思議なモノだ。

ゴリゴリに昭和主義なおじいちゃんと、バリバリにフェミニストな母親と、プリキュアのこと以外にさして興味のない孫が、同じ縁側で西瓜を食べれたりする。これが夫婦とかだと、血縁という縛りがない、「別れられる他人」なので、実際に離れたりする。家族こそ、お互いにディスコミュニケーションで全く分かり合えないモノはない気もする。それでも傍にいる、不思議さ。

 

本作のヒロインである優子と血縁でつながっている親は、近くにはいない。

家族で「ある」んじゃなく、家族に「なる」ために努力してきた人たちが、優子の周りを優しく囲んでいる。特に、最後にバトンを引き継いでいる養父の森宮さんは、始業式にかつ丼を出し、いじめに遭う優子にスタミナをつけるために餃子祭を開催している。食卓に、どういった家族でありたいかが、にじみ出ている。

 

『きのう、何食べた?』とか、毎週本当にほっこりしながら観ている。シロさんとケンジが喧嘩して仲直りしようとする時や、互いに方向性の違いがあって微妙な空気になった時の立て直し料理など、その時そのときで前向きに行こう、という意思が感じられる、二人の食事。

 

何か落ち込むことがあった時は、とにかく美味いモノを食べるべきだ。泣きながら何かを食べられる人は、きちんと生きていける人だ。

 

ところで、途中、優子には彼氏ができる。ピアノの才能を持った彼氏はしかし、ハンバーグやピザを作るため外国留学とかしてしまう。彼の個人的な想いのつまったハンバーグやピザは、確かに美味いだろう。ただ、バトンをたくさんつないでもらった優子の料理に、それが敵うかは、分からない。

 

とあれ、始終ほっこりし通しの、良作だった。