xshimmyのブログ

好きなもの。読書会、少女マンガ、人文系、宇宙、社会学、ノンフィクション、、、と、好きなものを羅列していけば何かがつかめる気がしています。ブログは主に世の中に対するぼんやりとした主張です。よろしくお願いします。

わたしの少女マンガ史観

と言っても、僕が少女マンガを読み始めたのは25歳を過ぎてからだ。『僕等がいた』(竹内くん!)とか『桜蘭高校ホスト部』(ハルヒ!)とかはアニメで観てた。

 

なんか、3巻くらいで主人公男子のことが好きなキラキラ女子が攻勢をかけ、5巻くらいで文化祭などなんやかんやあって距離が縮まり、7巻くらいで元カノや幼馴染などにより過去がほじくり出され、10巻くらいでそれぞれの進路に向けて歩み始める。そんな感じだと思って、手を出して来なかった。

 

甘かった。

 

フルーツバスケット』では、本当に人の愛の深さというか、いやあの夾くんのあのシーンで泣かないことある?て感じだった。

彼氏彼女の事情』では、血のつながりの闇、有馬がいかに肉親に苦しめられ、そして光ある方に決断をよくぞ、と泣いた。

『大奥』は、将軍職を男女逆転させることで、外側が決めたハコの中に人の人生を押し込むのがいかに残酷なことか、そして人は愛する人がそばにいることでどれだけ救われるかに涙した。

 

要するに、泣いてばかりであった。

 

この他にも、矢沢あい先生やおかざき真里先生、『となりの怪物くん』『好きって言いなよ』『日々蝶々』など好きでよく読んでた。

 

少女マンガには特有のフォーマットがある。ハプニング同居モノなど、一ジャンルとされているものもある。髪染めてる奴はわりに主人公女子を振り回してくる系で、黒髪の奴はたいてい主人公女子のことが何起こっても好きだ。

 

けれど、カタチが決まっているということは、イコール、そこに生きているキャラクター達の気持ちが決まっている、ということでは決してない。時にはざらっとした気持ちになったりする。たとえば『ドラゴンボール』ではピッコロが「神さま」になるためにそうしたざらっとした気持ちを切り離した(息子の代になって融合した)けれど、少女マンガにおいては大体、特殊能力ないので、生身で当たらなければならない。相手を傷つける言葉を言ったら消えないし、だからそこから、新しい関係を築いていくしかない。

 

もうちょっと、リボンの騎士あたりから遡ってみないと分からないけれど、そもそも少女マンガは、読者と作者の距離がとても近かった。確かに、りぼん、ちゃお、なかよし、においても歴代の編集長はおじさん(つまり読者のお父さん!)だったわけだけど、作者は年齢も性別も考え方も、読者に近く、だからこそ共にその時の感性を大切にしてきたはずだ。

 

その感性が、僕のような男子にとっては新鮮だし、ものすごい染みるものがある。

 

というわけで、面白いですよ、少女マンガ。