シミーのブログ

好きなもの。読書会、少女マンガ、人文系、宇宙、社会学、ノンフィクション、、、と、好きなものを羅列していけば何かがつかめる気がしています。ブログは主に世の中に対するぼんやりとした主張です。よろしくお願いします。twitter @koro81k

つまみんぐ

触ってはいけないニキビを、つまんでしまう。つまみんぐ。

 

言ってはいけないのに言ってしまう。

掻いてはいけないのに掻いてしまう。

これらは、言いたい、とか、掻きたい、とか、欲求に基づいている。快楽欲求に従って行動している。シンプルな在り方だ。

 

けれども、ニキビは、別につまみたいわけではない。でも、気が付いたらつまんでいる。無意識。ジグムント・フロイトは、「無意識」を発見したことで、マルクスニーチェと並び、偉大な思想家の1人になった。彼が言う無意識は、何だか分かんないけど人間の行動を支配する、みたいなものではないように僕には読めた。それはじわ~っとでも意識下に出てきてしまっているから、「無」意識じゃないんじゃね?という。

 

晩年、フロイト死の欲動という概念を言い始める。それまで、エディプス・コンプレックスや去勢コンプレックスなど、不快⇒快へ行こうとする人の動きを捉えてきた彼は、壁にぶつかる。精神病理者たちは、しばしば自分を傷つけ、むしろ不快なほう、究極的には死へ進んでいくように見える。これは何故なのか。

 

あえて不快なほう、堕落したほうへ進んでいく感覚はしかし、なんとなく分かる。

堕ちるところまで堕ちるという快楽もありえる。

 

さて、ところで。つまみんぐは?

別にニキビをつまんでも快なわけではない。不快でもない。ニキビ自体は非常に不快なものではあるが、もうちょっとニュートラルな何かだ。なんかこう、自分の身体なのに、自分の身体じゃない部分みたいな。

 

哲学者の鷲田清一は、ファッションに関する考察のなかで、服は外部との境界そのものであり、したがってだぼっとした服などはその境界が曖昧になることであり、不快な感情を抱くことにもなるみたいな話をしていた。ニキビもまた、外部との境界である。その境界をつまみんぐする行為は、自分を確認し、なんか曖昧な境界を確定したい感情なのかもしれない。

 

僕は他人に身体を触られるのが苦手なタイプなのだけれども、それは、外部との境界を明確に線引きしたいからなのかもしれない。触られると、曖昧になる。溶ける。

初期の劇場版エヴァンゲリオンにおいても、僕は綾波と溶け合うセカイより、アスカに「キモチワルイ」と言われつつも他者との境界が明確な世界を趣向する派だ。

 

とすると結局、つまみんぐもまた、僕の欲求なのだろうか。

 

わからぬ。全然まとまらないけど、そういうことあるなって思った。