シミーのブログ

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『美しい顔』について

北条裕子『美しい顔』を読んだ。

文学なので、まあネタバレというか、全体の話をします。気になる方は読み飛ばしてくださいまし。

 

震災をフィクションにするのは、かなりの困難を伴う。重すぎるのだ。事実が。

津波で流され、腕が反対側に曲がり、下半身がなくなり、顔からヘドロを吐き出している様で絶命しているご遺体が、「大変な災害だったけど、安らかに逝った」という物語すら許さない。誠実に向き合おうとするとどうしても時間が必要なことだ。

 

本作『美しい顔』は、東日本大震災に遭った17歳のサナエが、恢復していく物語である。彼女は“美しい顔”をしている。東京から、外から、被災地にやってくるカメラは、サナエの美しい顔に物語を押し付けてくる。「親を亡くしても希望に向かって頑張っている健気な少女」という物語。

 

サナエはその物語に同化することで、救われようとしている。最初、避難所にいたサナエは、小2の弟とともに、唯一の肉親である母親を探していた。しかし、何日経っても見つからない。テレビも追いかけてくる。「早くお母さんが見つかると良いですね」と。シュレディンガーの猫のように、蓋を開けることができず、ずっとそこに居ようとしている。分かっている。彼女は理解している。津波は善きモノをすべて海へ持っていった。一家全滅した家族もいた。狭い近所で、看護師として働いていた母が、ずっと見つからないのだ。

 

母親と対面した彼女は、また虚構の中の希望にすがろうとする。

あるきっかけがあり、そこから抜け出そうとする意思を取り戻したサナエは、しかし、「もしも」に襲われてしまう。もしもあの時、母親の所に何をおいても駆けつけていれば。或いは。というもしもの物語。たくさんの無念を負ったまま亡くなった母を救う可能性があったのでは。その可能性の物語に呑みこまれると、彼女は一歩も進めなくなる。

 

生き残った方がどうしても抱いてしまう、罪のような意識。どうして自分が生き残って、あの人が逝ってしまったのだろう、という想い。

だから、弔いは絶対に必要だ。亡くなった方が、生と死の境界をずっと彷徨うことになるから。それと同時に、生きている人が、向こうの世界に引きずられるから。

 

津波の悲劇は、その弔いが追い付かないほど、本当に何もかもを持っていった。生き残った人が前を向ける希望の物語を抱けないほど、本当に何もかもを。

サナエは強固な、強靭な意思を持って、非日常から日常に戻ってこなければならない。いつまでも非常時でいれば、ふわっとした希望の中にいられた。リアルの絶望を回避できた。日常にいると、どうしても津波の前のリアルに、そのリアルに戻れたであろうたくさんの「もしも」にからめとられてしまう。それでも戻ってこなければならない。

 

まとまらないけど、ともなくこの重すぎるテーマを正面から描いた、良い本だった。参考文献問題があって変な注目をされたけども、今の時代に読むべき本だ。