シミーのブログ

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『変身』について

いわずと知れたフランツ・カフカの『変身』について。

ボヘミア王国の商人を父に持つカフカは、結核になり苦しんだこともあった。カフカ自身の潜在意識も表現に含まれているか。うーん。。。

 

主人公のグレゴール・ザムザが虫になるに当たり、その過程は描かれていない。もっと言えば、周囲の家族から「虫だ!」というような指摘もない。主人公の意識と描写があたかも虫っぽい感じで描かれているだけだ。

 

本作が書かれたのは1915年。1914年に勃発した第一次世界大戦は、“総力戦”だった。一般市民も従軍したし、近代初期の医療技術の発展(クリミア戦争以来の、衛生観念の発達とか)により、半身不随や、四肢がうまく機能しないような人も、生き残って身近に還ってくるようになった時代だ。

 

ということで、『変身』は一種の介護小説とも読める。「いっそ死んでくれたら」という暗い感情は、けっして表には出せない。でも、家族はザムザを直視しようとしないし、一般の人たちから必死に隠そうともする。ザムザ自身も、急ぎ、日常の世界に戻ろうとしている。人間とはとても思えない不自由な動き方と共生しようとはしない。

 

そういう人たちが、第一次大戦の後の市街にはあふれていたのではないか。

 

変身といえば、外見だけでなく、内面の変化なんかもテーマになる。『山月記』が典型のように、変身後はしばしばその変身後の外見に引きずられ、人だった頃の感性を失ってしまったりする。で。『変身』においては、そうした内面の変化がちょっと読みづらい。あくまで内面は人間のままで、人間のままだからこそ、「人間じゃない」現在とのギャップがいつまでも埋まらない。家族も、唯一の働き手だった長男の変身をひたすら嘆く。

 

特筆すべきは、妹のグレーテである。彼女だけは、変身したザムザを、そのままというか、ショックで立ち直れない母親とザムザの橋渡しみたいなこともしている。

文学作品における妹は、1つの良心とか純真みたいなものの象徴な気がする(現実にどうであるかはさておき)。『罪と罰』の妹とかね。(余談だが、スヴィドリガイロフの拳銃自殺シーンとか最高である!)。

 

家族には、重しがいるのだと思う。

大黒柱とかでなく、その人のため、その人がいてくれれば大丈夫、みたいな支えになる存在だ。ザムザが現役で働いている時は、彼が支えだった。ただそれは、金銭的な支え方で、「彼がいなければ収入が途絶え、家族が飢え死にする」的な頼られ方だった。で、ザムザが動けなくなった時、いよいよ家族が動き出す。父がまた働きだし、母がしっかりしだす。それは家族の中心が妹に変わることで、支え方が金銭でなく、精神的なものに変わったということじゃないか。俺が、私が、支えなきゃ、と思わせてくれるような支柱。それが妹だ。

 

それが妹だ。