シミーのブログ

好きなもの。読書会、少女マンガ、人文系、宇宙、社会学、ノンフィクション、、、と、好きなものを羅列していけば何かがつかめる気がしています。ブログは主に世の中に対するぼんやりとした主張です。よろしくお願いします。twitter @koro81k

人を殺してはいけない理由

田村由美『ミステリと言う勿れ』に、何故人を殺してはいけないのか?という問いがあった。

 

自分が殺されたくないから。

⇒じゃあ、自分が殺されても良いヤツは他人を殺しても良いことになる。

 

遺された者が悲しむから。

⇒遺される者がいない者なら殺しても良いことになる。

 

法律で決まっているから。

⇒「やってはならない」ということではない。殺人をしたら罰則があるだけ。

 

このマンガで主張されている理由はぜひ、読んでいただきたいところ。

 

さて。木庭 顕『誰のために法は生まれた』などを読むと、法はとりあえず緊急避難として生まれてきたという。悪いヤツらは徒党を組む。徒党を組んで、個人を虐げ、隠ぺいする。だから法は、たった1人になった人が徒党に隠ぺいされないように、ちゃんと公の場で正しいか正しくないかを判定できるように、守る。ストップする。

 

殺人は1つの隠ぺいだと思う。この世の中はたくさんの人々の主観で成り立っているんだけど、1人の人を消すということは、その人の想いやその人だけの真実を世の中から削除するということで、こんな暴力はない。世の中全体に対する否定だ。かつてのハンムラビとかの、目には目を的なリベンジ法は、AさんがBさんに殺されたとき、Aさんの遺族はBさんに復讐の機会が与えられる。けれどBさんと間違ってBさんが所属する集団のCさんを殺したとき、もうそれ以上はダメ。手打ち。こういう考え方だった。

 

なんてヤクザな考え方なのだろうと感じるけども、戦時下のように殺しても良い人(人を人とも思わないように矯正されるのだろうけども)が明確でない場においては、1つのブレーキをかけないと、本当に取返しのつかない抗争になってしまうのだろう。「やるぞ、いつかやるぞ」という、暴力の可能性によって利益を得る人たちが、本当に暴力を行使し始めたらもうそれはただの暴力団であって、暴力を振るうことそれ自体が目的化する。

 

ということで、殺人を犯す動機は、相当なモノがいる。

“眠りの小五郎”が諭したくらいで涙し後悔するような動機ならば、そもそも殺人を犯すのが間違っている。もっとこう、『Xの悲劇』くらいのもん持ってこいという感じである。

 

もしくは、まったく理解できないというモノもある。『冷たい熱帯魚』は、本当に簡単に人1人が跡形なく消されていった。あいつは本物の下衆野郎だったな~。その下衆野郎は一見、力強い男に見えたりしちゃうので、“父殺し”と同じように、その父自身と同化しようとしちゃうみたいな話だったけども、あの殺人は動機が逆にまったくフラットであった。

 

とあれ、こういう当たり前にダメだよね、みたいなものを突き詰めていくことって大事だと思った。