シミーのブログ

好きなもの。読書会、少女マンガ、人文系、宇宙、社会学、ノンフィクション、、、と、好きなものを羅列していけば何かがつかめる気がしています。ブログは主に世の中に対するぼんやりとした主張です。よろしくお願いします。twitter @koro81k

焚き火派

ジョン・クラカワー『荒野へ』は、ある若者がアラスカの荒野で餓死するまでを追ったノンフィクションだけども、なんかこの若者の気持ちも分かったりする部分がある。

 

僕は大学の先輩と2人で、以前、湖沿いにて焚き火をしたことがあった。もうね、最高である。確かに時々、焼きおにぎりをやったりマシュマロをやったりするが、焚き火は調理道具ではない。なんかこう、家族とか友人とか、そういう人間関係という閉所から抜け出し、ただただぼんやりと荒野で自由に在る時の、明かりなのだ。

 

ということで、僕は先輩と5時間くらい何を目的にするでもなく、ぼん~やり話をしていた。ときどき、薪を拾いに行くくらいで、後はひたすら焚き火を眺めていた。

 

ジャック・ロンドン『火を熾す』ほど過酷な環境ではないけれど、自分を囲むあらゆる箱から自由であることを感じた。自然に還れみたいな小説を多数書いたロンドン自身は、ソローのように自然の生活をすることは生涯なかったけれど、彼の理想的な生活は常に自然の中にあったのだろう。

 

なんだろう。焚き火の何がそんなに良いのだろう。

調理道具と化したとたんに、その魅力が失われる気がする、焚き火とは何だろう。

 

村上春樹『納屋を焼く』は、村上春樹が描いてきた典型的な“悪”そのものの青年が、世界から「不必要」なものを抹消していく不気味な世界を描いた。火はすべてを消失させる。その小さな存在が生きた記憶も、痕跡も、歴史も。

 

焚き火がこの世界から何かを消していくモノなのだとしたら、その傍にいることが何故こんなにも魅力的なのか。うーん、ちょっと言葉を尽くしても表現しがたい。またね、湖沿いとか良いんですよ。寄せては返す穏やかな波とかあって。星以外の明かりはなく、こうこうと焚き火が燃え、ぱちっと木の中の空気がはじける音と、ほのかに煙の匂い。

 

まあ、『火を熾す』の火は、それがないともう死んでしまうくらいの、ほのか~な希望そのものであり、過酷な自然に抗する人間の生命みたいな表現ではある。

 

おお、書いているうちに焚き火に対するイメージが複数あることに気付いた。

あらゆる痕跡を消すもの。自然に対する希望・人間の生命そのもの。

たぶん、僕が惹かれるのは後者に近い感じ。なんかこう、自然って明らかに人間とは別次元の異界なのだけども、焚き火は、その人間世界と自然世界の中間にあるものというか、境い目みたいな。だから一時、安心してその場に留まることができる。きちんと、元の世界に戻ることができる安心感を得たうえで、普段とは異なる世界を体験できるような。

 

そんな焚き火。