シミーのブログ

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『ノルウェイの森』について

村上春樹好きあるあるに、村上春樹にさほど関心のない人から、「何がオススメ?」とか「春樹作品では何が好き?」と質問され戸惑う現象があると思う。結論から言えば「気分による」のだけども、その気分の1つに、『ノルウェイの森』がしっくりくる時がある。

 

作者自身も言っているとおり、『ノルウェイの森』はリアリズムで書かれている。羊とかやみくろとかイデアとか、ジョニーウォーカーとか双子とか、出てこない。ついでに言えば、今までは「鼠と僕」みたいな二人の関係だったものが変化したり(ノル森には3人のシーンが多い)、主人公に名前がついたり(ワタナベ)といった変化がある。

 

物語は、親友を失った傷を抱えたワタナベくんが、親友の恋人である直子や、大学で会った緑、永沢さんや突撃隊などとの出会いを通じ、変わっていく青春もの?である。

 

僕はこの話では突撃隊が好きだ。彼は国土地理院を目指し、地図の勉強をしている。ワタナベくんと直子は親友キズキを失って行く先を見失っており、そのため直子はひたすら都内を歩いていた。ワタナベの側に突撃隊が居た時は、突撃隊がワタナベの地図になってくれていたわけで、きちんと現世で方向を見失わずにいられた。けれど突撃隊は去る。「女の子にプレゼントすると良いよ」と螢を置いて。あえて旧字体の螢としているのは、古来からの日本人の死生観、つまり螢がもうこの世にいない大切な誰かの依代であることを示している。これがキズキか直子かはたまた別の誰かか。は議論が分かれるところ。僕は直子派である。

 

ギリギリこの世に踏みとどまっていた直子は、サナトリウムに入る。そこから帰ってきたワタナベは、緑に「幽霊に会ったみたいな顔してるわよ。」と言われることからも象徴されるように、向こう側に行く直子を引きとどめることができなかった。ちなみに緑も雑誌のバイトで地図を書く。つまり突撃隊とは別の地図をワタナベに示してくれるわけだけども、その地図には直子と一緒の行き先は含まれていなかった。

 

ゆっくり朽ちていく父親を介護する緑は、明らかにリアルの側にいた。ただ、この小説のそもそもが、ドイツでの回想から始まっている。だからすべてはワタナベの頭の中の出来事なわけだけど、でも村上春樹の描く「記憶」はふわふわした空想でなく、確かにそこにあった大切な何か、である。ラストで緑に電話をかけるワタナベは、自分がどこにいるか分かっていなかった。地図を手放したからだ。ほのかに希望があるようで、決定的に何かをなくしていくような。

 

そんな小説。