シミーのブログ

好きなもの。読書会、少女マンガ、人文系、宇宙、社会学、ノンフィクション、、、と、好きなものを羅列していけば何かがつかめる気がしています。ブログは主に世の中に対するぼんやりとした主張です。よろしくお願いします。twitter @koro81k

他人のコンプレックスを笑うな、自分のコンプレックスを笑え

コンプレックスは多様だ。目元が気になる人がいれば、学歴、自意識、もっと深い個人史に根差したもの。コンプレックスがあるから明日への活力が生まれることもあるし、コンプレックスがあるから自縄自縛で身動きがとれなくなることもある。

 

僕?

 

僕は中学校まで、学校の勉強ができるタイプだった。ついでに足が速かった。だから大抵のことはうまくできると感じていた。成功体験が先にあったからだ。

んで、世間の大半の人と同じく、高校あたりから「おやおや?」と気づくようになる。県内だけをみても、自分より勉強ができる人はたくさんいるし、運動ができる奴など数多おられる。

 

そこで僕は方向を変えてしまった。学校のテストができずとも、文化的背景というか、文学作品とか映画とかちょろちょろ観ていたので、そこで一目置かれる的存在になったのだ。あくまで「頭良さそう」な奴であって、東大に行くような「頭の良いヤツ」では決してない、そんな存在。だから僕の自意識はしおれることなく、むくむくと大学以降まで肥大したまんまだった。

 

叩かれるのが遅かった。致命的に。

ということで、テストとか、まあ後は対人関係とか、そういう他人との真正面の対峙というか、そういうもんが苦手なままだった。楽しい場所に居ても、どこかメタ的に捉え、没入するというか、そういう感覚がなかなかつかめなかった。「うぇーい!」とか叫べなかった。

 

それが僕のコンプレックスのようなものだ。

いや、もっとたくさんあるけれども。

ストレートな人間関係を築けている人に「今度遊ぼう!」と誘われても、「そうだね、是非!」という、まったく具体性のない返しをしてしまうとか。本当に未だに、真正面から人と付き合うことができていない。

 

でも良いのだ。それも含めて自分だから。僕が自分自身を欠点も含め認めているのは、最初に成功体験を抱かせてもらったことと、人生における都度都度で、良い人たちに恵まれたからであり、個人の努力ではない。ありがたいことだ。

だから僕は、他人のコンプレックスを絶対に笑わない。それはその人にとってとても大切なものであり、同時に、なんとか手放したい業のようなものでもある。

ただし、それは、その人にとって人生そのものだから。だから、それを笑えるようになると良い。健全な自己肯定は、自らのコンプレックスを笑うことから始まる。

 

逆に、コンプレックスが何もない人は、危険だと思っている。そんなのっぺりした野郎に、僕の人生を舐められてはたまらない。僕はこのままで行く。