シミーのブログ

好きなもの。読書会、少女マンガ、人文系、宇宙、社会学、ノンフィクション、、、と、好きなものを羅列していけば何かがつかめる気がしています。ブログは主に世の中に対するぼんやりとした主張です。よろしくお願いします。twitter @koro81k

誰からも支配をされないために、読書をするということ

ヤニス・バルファキス『父が娘に語る経済の話』を読んだ。さすが古代ギリシャの歴史を持つ国の人だけあり、文化的素養がすごかった。

なかでも、「人を支配するためには、物語や迷信に閉じ込めて、外を見させないようにすればいい」というのが響いた。ゲーテも外国語学ぶべし!みたいなこと言ってたけど、自国の言葉だけだと自国の物語に閉じこみ、それがどんなにおかしくても違和感を抱くっていう感覚すらなくなってしまう。

 

たとえば、「Fish」という単語。同じ魚が複数匹いても「Fish」だけど、金魚とサンマとか、違う種類の魚がいた場合は複数形「Fishes」になる。カノ国の人たちはだから、ぶわーっとしたサンマの群れとか、1個体として考えているってことだ。まあそもそも日本語は数によってカタチが変わるとかないわけで、なんとなく世界全体をぼうっと捉えているということかもしれない。英米は、なんだかんだで博物学の伝統があるというか、分類してナンボ、みたいなとこあるよね。

 

いやまあ、それは良い。言いたいのは、物語は確かにその人自身を救ってくれるささやかなモノであると同時に、権力とかが物語を押し付けてくると、とんでもない力で人を潰しかねないということだ。今の香港のデモにしても、「暴動」という言葉を使うと、無秩序な過激派が街を襲っているように見える。けれど、実際、デモ隊がぶつかっているのは権力にいる側の警官隊だけで、その警官隊は、ゴム弾を空とか足とかじゃなく、直接に市民の頭狙って発砲している(そして2名重症)。もともとがアンフェアな戦いの上に、「暴動鎮圧」という物語をかぶせることで、権力側の物語に人々を押し込もうとしている。外の世界を見させないために。

 

特に現代世界は、検索ワードをもとにしたアルゴリズムで、その人が求める答えを何度も何度も自動で表示してくれる、とても便利な世界だ。そして思うのだ。ほらやっぱり俺の私の考えは正しい。だって答えがちゃんと出てくる。賛同していいねしてくれる人たちもこんなにいる。だから、外側にいる「あんな人たち」は決定的に間違っていて、そんな人たちに「俺は私は負けるわけにいかない」

 

イヤ、この閉じた物語から抜け出すのは簡単なのだ。大きい本屋に行けば良い。そんで、普段、自分が行く箇所とはちょっと違う場所・棚を覗いてみると良い。そうすると、あまりにも世界は多様であり、芥川が「自分が一生に読める本はほんのわずか」と絶望した気持ちもちょっと分かるかもしれない。でもそれで良い。ちょっと外に出るだけで良い。そうすれば、自分を閉じ込めていた物語から、別の物語に行ける。

 

人生、その繰り返し。