シミーのブログ

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『アラジン』 本当の願いとは

『アラジン』においては、自由を志向するアラジン、ジャスミン側と、支配を趣向する国務大臣側が対立している。そもそも魔法のランプ出身のジニーが叶えられる願いには制約がある。人を殺すこと、人を恋に落とすこと、死人を甦らせること。これはできない。何故ならそれは、「生きる自由・恋する自由・死ぬ自由」を、それぞれ奪う行為だから。だからそもそも魔法のデフォルトの設定として、抵抗権がないような自由をはく奪する願いは排除されてる。

 

まあなんか、不倫とかでよくある、「まさか」的な、交通事故のような、まるで巻き込まれたかのような、そういったモノは恋じゃないってスタンスですよね。恋とは選択的に、自由に、それこそ生きる自由・死ぬ自由級の、人間の尊厳にかかわる問題であると。

 

物語の結末は分かりやすく、管理・支配を希求した国務大臣は、アラジンの知恵により、自らが支配される側の究極のところに落ち込むことになる。まあ、自由の考え方にもいろいろあり、アラジンは宮廷でのゴージャスな暮らしを自由と思い、ジャスミンは規則だらけの宮廷でなく外の世界にこそ自由があると思っている。

 

二人とも、「ここではないどこか」にそれぞれが焦がれる自由があると思っていて、そしてそれぞれが「ここではないどこか」の住人である。そんな二人が一緒になるために、自由をはく奪する国務大臣を撃破する必要があったのだけども、まあ彼をやっつける時に魔法のランプをどっちが獲ったか合戦じゃなく、国務大臣自身の思想の問題に言及したとこが良いですね。支配を求めるものは、自らも支配されることを甘受せねばならないという。

 

魔法のランプ獲ったどー合戦だと、「天皇の御旗を獲ったもん勝ち」と一緒だから。

 

ところで、この話はそもそも、胡散臭い商人が魔法のランプの逸話を話すところから始まっている。『アラビアン・ナイト』と同じく、作中作だ。ということは、この商人が言っていることが「本当に起こったことか」は分からない。

つまり、「本当にこんな話があったら良い」という、願いが、そもそも『アラジン』には込められているように思う。

 

最初から、単純にアラジンという心の清い青年がいて、なんやかやあって王国を救って、って話になると、ただの説話になってしまう。本当にあった昔話でなく、本当にあったことか分からない、人々が自由を願った話、であるからこそ、この作品は魅力的なのだと思う。

 

まあ、僕が観たのは『アラジン』公開記念の金曜ロードショーアニメ版であったのですが。青いウィル・スミスも観にいくべきか。。。