シミーのブログ

好きなもの。読書会、少女マンガ、人文系、宇宙、社会学、ノンフィクション、、、と、好きなものを羅列していけば何かがつかめる気がしています。ブログは主に世の中に対するぼんやりとした主張です。よろしくお願いします。twitter @koro81k

甘やかしの先にあるのは、吉ばっかりのおみくじだ。

本文は三宅隆太『スクリプトドクターの脚本教室』によっています。スクリプトドクターとは、映画やドラマなどの脚本・物語を整理する役割の人で、監督やプロデューサーなど内部の人たちで煮詰まったとき、有効に助言してくれる外部である。

 

さて、まず、あるキャラクターを生み出したならば、彼・彼女を、少なくとも生みの親である作者は、責任を持って愛さなければならない。そして物語に強度を持たせるため、キャラクターを甘やかしてはならない。

 

いわゆる、窓辺系の作家は、会社勤めの女性がふとズル休みをして窓辺でぼんやり回想し、うすぼんやりと日常に戻っていく、みたいな話に流れがちだ。作者の心情風景とか、別にあなたサルバドール・ダリとかじゃないんだから、そんなの見せられても何も楽しくない。

 

これは、キャラクターを愛しているというか、同化し過ぎているがゆえに、過酷な試練を科せられないのだ。けれど、試練があり、それがご都合主義でない展開をしていかないと、読者は物語には惹かれない。あまりにも好き過ぎて光源氏が死ぬところを描けず、「雲隠れ」の章に空白を描いた紫式部も、彼を生き返らそうとはしなかった。遠藤周作『沈黙』だって神は最期まで沈黙だったし、カフカ『変身』だって死ぬまで虫だった。

 

キャラクターを甘やかした先にあるのは、吉ばっかりのおみくじなのであって、どう転ぶか分からないワクワク感は物語から消える。

 

だからある意味で、ディズニーなどは吉ばっかりのおみくじなのかもしれない。「凶」を出さないために、そこでは改変がなされる。

 

ズートピア』は、表向きは多文化共生社会だけど、そこには生まれに起因する、肉食動物と草食動物の絶望的なまでの断絶があった。肉食動物が草食動物を食べないようになったのは、進化の結果、ということになったけれど、メイキング時点のアイディアでは、草食動物を食べようとすると肉食動物の首輪から電流を流す、というものもあったらしい。本能レベルの欲求に抗うほどの理由づけは、かように難しい。

 

とあれ、このディズニーのフォーマットはとても歴史があり、洗練されてきたので、一つの物語のカタチになった。しかし、ディズニーフォーマットのなかでも、キャラクターたちはちゃんと試練を与えられる。それは作者が愛し、信じているからこそ課せられる試練であるので、キャラクターは一生懸命それを乗り越えようとする。その一生懸命があるから僕らは感動するし、エンディングも気持ち良く迎えられる。

 

というお話。