シミーのブログ

好きなもの。読書会、少女マンガ、人文系、宇宙、社会学、ノンフィクション、、、と、好きなものを羅列していけば何かがつかめる気がしています。ブログは主に世の中に対するぼんやりとした主張です。よろしくお願いします。twitter @koro81k

人を納得させる言葉を持たないヤツが、他人を殴ってニヤついてるわけで。

言葉によって人を納得させるのは難しい。たとえば、先々週の大河ドラマ「いだてん」では、女学生が靴下を脱いで走ったとき(走りやすいからね!)、父親をはじめおじさん連が学校に猛抗議し、金栗氏を辞任させようとした。で。なんで靴下を脱いではいけないのか、と問われた時の回答は、「みっともない」からだった。

 

まあようは、説明できないわけだ。

 

よく、ミニスカートを履いたりとかすると、男を欲情させるからよくない、とか言う。全然説明になっていない。なぜ、加害者側に寄りそうのか。まあそりゃ、パンツ丸出しとかはいかがなもんかと思うけども、自分が自分として一番好きな恰好をしたくてするだけなのに、欲情するかどうかはそいつの問題なのに、何ゆえ自粛が必要になるのか。それなら、フィギュアスケートも水泳競技も体操も、何もできないじゃんか。

 

言葉で説明できないから、声を荒げ、他人を殴る。俺は正しいことをしてるんだ顔で。最近の米国精神科学会の報告では、体罰によりメリットは特定の状況下における特殊な場合のみで、しかも別に体罰を使わなくても同じ効果が得られる。むしろ体罰によるデメリットのほうが多いという。何故それが悪いのか。なぜダメなのか。これを説明する言葉を持ってないヤツは、暴力に「逃げる」。この場合の暴力は物理的なもんだけじゃなく、精神的なもの、威圧とか、定型化された脊髄反射差別用語とか、そういうもんも含まれる。自分の言動に対して、責任を持っていない。

 

『結婚差別の社会学』では、被差別部落の人がそうじゃない人と結婚する時の壁の話が出てくる。「わたし(両親)はね、二人の結婚良いと思うのよ。でもね、今度いとこのAちゃんも結婚するじゃない?そのAちゃんのお相手がね、親族にそういう処の出身の方がいるとね、いったいどう思うか。。。」って感じの話になるという。

 

知らん!

 

自分は認めるけれど、他の人は良い顔しないんじゃない?という形式で、他人を殴るのは、なんか相手から敵対されたくないけどぬるっと批判したい気持ちが出てて、まあ心配で仕方ない人情も理解できるけど、やっぱりそりゃ傷つくんじゃなかろうか。

 

ごにょごにょ言いましたが、今度は民法改正で親が子供に対する懲戒権もなくなる方向のようだし、みんな、親になるのは初心者なわけだし、暴力じゃなく、体罰じゃなく、人を納得させる言葉を専門家に聞いて、自分の中にストックしていくことってこれからの時代大事なんじゃないかとか。

 

平べったい差別用語ばかり喋っていると、脳細胞もそれに引きずられる。引きずられる必要なんか、本当はない。人の言葉はもっと自由なんだから、自由に、他人を納得させる言葉を持ちたい。