シミーのブログ

好きなもの。読書会、少女マンガ、人文系、宇宙、社会学、ノンフィクション、、、と、好きなものを羅列していけば何かがつかめる気がしています。ブログは主に世の中に対するぼんやりとした主張です。よろしくお願いします。twitter @koro81k

「エジソンノート」の圧倒的な物量の力

読書猿『アイデア大全』は、さまざまなアイデアを生み出す方法論を図録風にまとめた良書だ。その中に、レオナルド・ダ・ヴィンチに憧れ、生涯、ノートをとり続けた「エジソンノート」の紹介がある。

 

ダヴィンチは、まさにルネサンス型の天才で、3分の2が失われたと言われるダヴィンチノートでも、5000頁が現存している。そのダヴィンチに勝るとも劣らない発明王エジソンは、とにかくノートをとりまくり、1300の発明を生んだ。ノートをとる、という行為自体は、簡単に誰でもできる。でもそれを、ダヴィンチやエジソン級の、圧倒的な物量で記録をとり、しかも何度も見直し生産性を高めた資産となると、なかなか真似できない。

 

僕は古い人間なので、やはり、物量にひたすら感嘆するのである。

遠藤周作が、文章がうまくなるには?との質問に、「とにかく毎日書くこと」と答えたことや、“ダヴィンチ級の天才”と称される最澄空海が日本にあったほぼすべての経本を丸暗記するなど(おかざき真理『阿吽』)、誰も追いつけないくらいの量をこなしてきた人たちが好きだ。

 

逆に、自分を馬鹿だと思っていて、でもそうした馬鹿の素人的発想が、狭い視野に陥った専門家たちを上回っている、なーんて歪んだ自意識を持っている人とか苦手だ。専門バカ、と確かにいうけれど、専門家は素人が思いつくようなことは大概通ってきた道なので、「素人の発想」は「専門バカ」のず~~~っと下なのである。よく、自分が賢いと自認してきたソフィストたちを「無知の知」で論破していったソクラテスとか引き合いに出されるけれど、まずもってソクラテスすげー物知りですからね。物知りな上に、謙虚ってだけで、何もしてない人が無条件に上に行くわけじゃない。

 

僕は、専門家になるほど、何かを極めるということはできなったし、自分の性格的にそういうのは向いていない。だから。ともかくも謙虚であろうと思う。そんで、ルネサンス型の天才に憧れるので、ともかく勉強の「量」を増やしていく。もりもり。

 

今の学問は、文系は円環型、理系は直線型、だとおおまかに区別できる。「巨人の肩にのっている」との格言のとおり、文系は今までの蓄積がモノを言う。新しい資料の発見とかで今までのものが変わることもあるけれど、基本的には過去、まあせいぜい現在の再解釈の繰り返しだ。いっぽう、理系は、直線の先にある知識を知っていれば、極端な話、『プリンキピア』とか『サイバネティック』とか読まなくてもいける。もちろん読んでいれば蓄積ができるけども、どちらかと言えば最新の知見を知っていなければ話にならない。

 

ということで、エジソンノートはどちらかと言えば文系よりなアイデア発想な気もしている。ただ、ダヴィンチが科学的知識をすんげー知っていたのと同じく、そこも疎かにできない。とにかく量。それも圧倒的な物量。

 

量は質を凌駕する。