シミーのブログ

好きなもの。読書会、少女マンガ、人文系、宇宙、社会学、ノンフィクション、、、と、好きなものを羅列していけば何かがつかめる気がしています。ブログは主に世の中に対するぼんやりとした主張です。よろしくお願いします。twitter @koro81k

部下は上司を選べない。が。上司も部下を選べない。

あたかも、親が子ども選べないのと同じように、上司もまた部下を選ぶことはできない。子どもの権利条約と同じように、部下はそもそも立場が弱いので、上司(親)を選べないことによる嘆きは周囲からきいてもらいやすい。もやいやすいし、きちんと立場の弱い人は保護されてしかるべきだ。

 

ただ、上司の側からみたとき。

特に、昭和マインドべったりの上司が抱える悩みは、親が抱える悩みと似ている気がする。部下(子ども)だって、自分とは異なる「他人」なのだということを、頭で分かってはいても、心情としてなかなか理解できない。だから、毒のような部下(子ども)ができた時、ひたすらに戸惑う。

 

特に日本の教育・社会制度は、軍隊式だった。組体操・前へ倣えなど、個を消した行動を何度も繰り返させることや、ブラック校則として話題になった意味のない理不尽に耐えさせることで、「自分と同じ人間」を再生産させるシステムだ。このシステムにばっちり乗った人は、出世をした。プライベートなどはなく、自分の上司にべったりし、同化すること。

 

だから、旧来の日本に、上司はいても、リーダーはなかなかいなかったんじゃないか。命令は常に上から降ってきて、自分と同じ部下たちが、粛々とそれをこなしていくから、上司は、とにかく個を消していけばよかった。あるいは、上司の上司みたいな人間になればよかった。常に、前には先人がいた。

 

それがねぇ。いきなり、サーヴァント・リーダーシップとか言われても、分からんでしょうよ。ましてや『ティール組織』みたいな、固定されたリーダーがない組織なんて想像もつかない。でも、今の部下たちは、「上から目線」を嫌悪する時代の空気を背負い、共有する大きな物語を持たずそれぞれが内に小さな物語を持ちながら育ってきている。上司とは、明確に違う、他人。

 

だからそもそも、何を言っていいかすら分からない。「これはセクハラか?これはパワハラか?」とおびえるしかない。そんなおびえを逆手にとり、本当に自由な態度で当たってくる人間が自分の部下になるかもしれない。なんせ人不足だから。

 

だからまずは、部下(子ども)は、自分とは違う他人であって、自分の分身になりうる存在ではないのだ、ということを自覚すること。そんで、少しずつ、フラットな雰囲気に慣れる実力をつけること。今の部下が、上司に従うのは、上司「である」からでなく、上司っぽい適確で経験の浅い者にはできない判断を「する」ことができるからだ。そうしたデキる上司なら、フラットな雰囲気でも、部下はモチベーションを持ってついてきてくれるかもしれない。それにプラスして、ケアも必要ではあるけれど。

 

まあなんか、お互いに大変なんですよね。大変な上司に遭ってもイヤだし、相当な部下に遭遇してもちょっとね。デフォルトで努力することが前提になっている社会なのではありますが、ボチボチやりましょう。