シミーのブログ

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健常者って言葉に違和感ないですか? 僕は、ある。

まず何をもって、健常者とみなすのか。その境い目は曖昧だ。

まあ確かに、医療費の財源は限られていて、どこにお金をかけるかって問題はあるから、あえて「障碍者」としてくくって、金銭的・治療的ケアを受ける、ってのは必要ではあるだろう。だから制度的なところでは、健常者と障碍者の別は明確なのだ。

 

問題は、僕らの意識のこと。

今度、10月にやるという「ジョーカー」の話とか楽しみでならないのだけど、彼みたいな人はどうだろうか。まあね、『バッドマン ダークナイト』などで、ゴッサム・シティを狂気のどん底に陥れた悪のカリスマは、健常の側ではないかもしれない。しかして障碍の枠でもない感じがする。それは、彼のような心性は、多かれ少なかれみんな共通してもっていて、たまたまジョーカーがその引き金を引く存在だったからじゃないか。高杉晋作も「狂」を信条としていたし。

 

いっぽう、身体障碍のかた。頭では分かっているのだけど、たとえば、指が5本なかったりすると、どうしても僕は一瞬「ぎょっ」としてしまう。この「ぎょっ」が、差別意識に根差してるんじゃないかとか感じたりしてしょんぼりする時もあるのだけども、外国人の人とか観た時もやっぱり「ぎょっ」とするので、単に見慣れていないだけなんじゃないかとも思う。

 

うむ。分からぬ。

 

たぶん、なんかイラッとした時に何を言うかが、その人の差別意識如実に表してくるのだろう。そういう状況になった時、「健常者」である僕が、「障碍者」である方に何を言うか、が問題だ。だから健常者と障碍者の壁は、制度で明確に定義されていることとは別に、意識としてお互いがどう感じているか、でもある。

 

この社会は基本的に、健常者デフォルト使用になっている。だから、ちょっと前に、バニラ・エア車いす男性に「事前連絡がなかったから」一切搭乗の手伝いをしなかった時、車いす男性に対し「決まりなんだから連絡しろよ」なーんて批判もでた。そもそも車いすなだけで、他の人と区別して、事前連絡させるってのがおかしいのに。確かに従業員の配置とか問題なのかもしれないけども、そしたら周囲のお客さんで手伝える人も手伝うとか、あるじゃん。「あなたは健康な男性なので、事前に連絡いただかないと搭乗できません。健康な男性は、チカンの恐れがありますから、座席割が必要なのです」とかね。おかしいでしょ、逆に考えれば。

 

ということで何が言いたいかといえば、制度上、医療のケアを受けるために、健常と障碍の区別は、とりあえず必要である。だけど、その制度に、僕らの意識まで引きずられる必要なんてない。健常者らしく振る舞う必要はないし、ましてや障碍者らしく生きる必要もまた、ない。