シミーのブログ

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怒りについて

怒りという感情は拡散しやすい。怒りって、敵に対する威嚇であると同時に、自分たちに対して危機が迫っている時に発現する感情だから、他人の怒りであっても共感しやすいのかもしれない。「中国が領土とりにくるぞ!」なんて危機感とともに怒りを拡散されると、どうも穏やかでいられない感覚。

 

ところで、怒りには公憤と私憤があるように思う。

 

公憤は、たとえば痴漢行為を許せないとか、香港でおきてる逃亡犯条例廃止デモとか、自分だけでなく他人も同様に苦しんでいる理不尽に対して、怒りを向けること。基本的に弱い立場の人が強権的な方に対するプロテストとしてあるもの。何かを良い方向に変えていくのはこの公憤のほう。

 

いっぽうで、私憤は、「女許せねぇ」とか「男なんて信用できねぇ」など、基本的にその人の個人的経験に基づいた偏見、コンプレックスの発露である。だから、この私憤が広がっていく場合、社会を良い方向に変えようってエネルギーでなく、巨大な私憤の塊・ヘイトになる。

 

この公憤と私憤の区別はちょっとややこしいけども、相手が変わる余地のないものに対する怒りは、しばしば私憤な気がする。男性が女性に対して抱くミソジニーや、特定の人種に対する差別などは、基本的に私憤だ。敵を敵として固定し、その敵がいることによって自分が保たれているような気持ちになれる。仲間っぽい者たちだってできる。そんな、敵っていう他者がいないと自分を保てないような自我が生み出す、どろっとした感情。

 

この私憤もまた怒りではあるので、広がりやすいものではあるのだが、その時は、「あの人が怒っているモノが自分に降りかかってきた時、何か不都合があるか?」と考えてみると良い。自分が男性であって、「女はみんなクソだ!」と怒っている人がいるとする。自分の周囲の女性のことを考えてみる。そんなにクソだろうか?それは、「その人の周囲」にそういう人が集まっているか、「その人の認識」がそのように歪んでいるだけではなかろうか。

 

いっぽうで、痴漢行為について。もちろん、痴漢はある種の病気、満員電車な特定の状況で起こる異常行動ともとれる。しかし、そういう事情をおいても、痴漢行為自体はやられた方を傷つけるのはもちろん、周囲のあらゆる人を不快な気持ちにさせる。だから痴漢「行為」自体に向けられる怒りは、公憤だ。そう、あくまで怒りを向けるべきはその「行為」であって、痴漢者自体にではない。痴漢者の人格自体は変わらないだろうから、痴漢「行為」に焦点をあて、それがなくなるようにきちんと怒ること。

 

ぷんぷんすること大事。