シミーのブログ

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恋の駆け引きって何なんすか?

あれですか、思わせぶりなことをしつつ、最後までは開示しないみたいな。そういうアレでしょうか。昨今の情勢から鑑みるに、それは恋を一種のゲームとして捉える空間があってこそ成立するのであり、ゲームをゲームとして遊べない層がいて、そんな人達とネットで簡単に出会えてしまう場合、ちょっと危険な気がする。

 

そもそも、その駆け引きは必要なのだろうか。

恋って、なんとなく二人の空気感とか価値観とか、他の人とは違うくらい深く通じ合った時に発生するものではなかろうか。竜巻ですね。僕は学生時代、無風状態だったので、いつどこで恋の竜巻が発生しているのか、まーったく分からなかった。

 

そして、たいていの場合、竜巻は勢いを失う。この時に、当初の勢いを取り戻そうとする方法の一つが、恋の駆け引きな気がする。ここでそもそもの疑問は、わざわざ勢いづけなきゃいけないのかってことである。別に良いじゃん、凪になっても。

 

たぶん、日本においては、明治期に西欧列強に対抗すべく、あらゆる概念を学んできた。恋もその一つで、日本人はもともと「情け」って概念でしっぽりやっていたのが、より理想主義の風が強い「恋」に変わってしまった。

 

日本が西欧に学んだ時期の問題もある。1853年ペリー来航以降の西欧は、フランス革命アメリカ独立戦争がひと段落し、神から離れた人の立派な理念によって、世界をキレイにできるという理想の時代だった。もう少し、中東や中国の影響力がある時期のヨーロッパだったら、違っていたはずだ。

 

まあ、その理想的な「恋」を、駆け引きという、工学チックなフィールドに落とし込むあたりは、日本風のローカライズなのだろうか。各国の恋愛事情が分からないので何とも言えない。

 

とあれ、心理学とか行動経済学とか、人の心を予測可能なものとして、あるいは多様な心のデータをとれば傾向がわかるんじゃね的なものとして捉えようとする傾向はずっとある。

 

一言、言いたい。

人間なめんな。

 

恋の駆け引きが通用するって考え方の根底には、「恋愛をするには恋愛らしきことを演技するしかない」という、脱構築がある。こうなると、恋心自体が本質なのか、恋っぽい行動が主なのか、よく分からない。

 

別に、どこの誰が決めたか知らないルールにのっかる必要なんかない。3回目のデートで告白しなくたって良いし、告白は男からじゃなくたって良い。だってその人たち同士のことなんだから。

 

駆け引きって、だから何なんでしょうね。