シミーのブログ

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付き合った人数が多すぎる人について

なんかこう、付き合った人数が多すぎる、そしてそれを自慢するタイプの人って、実はモテてないんじゃね問題というのがあって。つまるところ、「義経と出会えてない弁慶」状態だよね。渇ききっていて、刀狩りのように、相手を倒した数を示すものがないとやってられない。

 

適度な、今まで付き合ったことある人の数はそもそもない。別に何人だって良い。さらに言えば付き合ってるのかどうか微妙な状況だってありうる。

 

だから問題は、実態がどうかではなく、「俺はあたしは今まで●●人と付き合ってきた」と自慢する性向そのものにある。アドラーじゃないけど、過去そのものって言うより、そんな輝かしい(と自認してる)過去があると思っている現在のその人の人間性どうなのだろう。

 

こう、他人の人格を、物象化してるような感じ。物象化してるから、一人ひとりの付き合いを省みず、ただ量として語る。それだけたくさんの数の人たちを振ったのか振られたのかは知らないけれど、それだけ同じことを繰り返す反省がないとも言える。

 

弁慶は幸運か不運か、義経が通りかかった。あの時代は、本来であれば一箇所な橋ではなく、諸国を放浪して強い者を求めなければ、いつまでも自分より弱い相手としか戦えなかったはずだ。都市化してない前近代においては、化け物みたいに強いヤツは往々にして地方にいるものだから。

 

幸運か不運かって言ったけど、義経と出会わなければ弁慶は、立ち往生みたいな死に方はしなかったかもしれない。同様に、ひたすら数を追ってモテを示すような態度を続けていれば、決定的に傷つくようなことはないかもしれない。

 

自立している、ということが、1つのモノに寄りかからず、たくさんの依存先を持っているということなら、たくさんの人と付き合ってきたというのは、ある種の自立かもしれない。

 

ただ。

 

傷つくことがないということは、相手の心にも決定的な傷を残さないってことでもあって、そんな相手が依存先になりうるかっていえば、多分に怪しいと思う。

 

マンガ『絶園のテンペスト』では、愛が高じすぎて、相手にたとえ恨まれるカタチになろうとも絶対に忘れられない傷を残してやる、みたいなシーンがあった。これが愛じゃないだろうか。

 

たくさんの人と付き合ってきたということは、相手に深い傷を負わせていたらすんなり次に行くことができないねで、さら〜っと流してるはずだ。

 

まあ、それも1つの生き方だとは思うけど、ちょっと僕は友だちにはなれない。