シミーのブログ

好きなもの。読書会、少女マンガ、人文系、宇宙、社会学、ノンフィクション、、、と、好きなものを羅列していけば何かがつかめる気がしています。ブログは主に世の中に対するぼんやりとした主張です。よろしくお願いします。twitter @koro81k

人はみんなちょっとずつ闇を抱えているので、僕はあなたを愛することはできないかもしれない

結局、人間はグラデーションだと思う。真っ暗に闇な人ばかりではないし、クリスタルに明るい人ばかりでもない。『バッドマン』のジョーカーみたいに狂気に取りつかれた人はめったにいない代わりに、自分を全面的に明るく開放できる人も滅多にいない。

 

デヴィッド・フィンチャーの『ソーシャルネットワーク』は、ザッカーバーグFacebookを立ち上げ、成り上がっていく過程で、つながりを極めるテクノロジーを生み出したはずが、どんどん孤独になっていく話だった。Facebookの思想は、その人自身に信念があれば、匿名でこそこそやる必要なんかなく、クリスタルのごとく透明に、情報を開示していくべき、という。

 

旧ソ連から独立したエストニアという国は、情報開示に積極的だ。スカイプを生んだ国でもある。エストニアは公務員の給与も全部公開しているという。彼ら彼女らの思想にあるのは、旧ソビエト時代は、情報を自分たちでコントロールすることができなかった歴史だ。公務員の給与全部公開も、「それを了解した上で」公務員職につくならば、情報をコントロールする力が自分自身にあるということで、公開もいとわない。

 

んー。

 

最近、僕の周りだけかもしれないけれど、Facebookが閑散としている。それは、谷崎が『陰翳礼賛』で書いたような、陰に対する愛着みたいなモノが、このSNSにはないからではなかろうか。人は、ちょっとずつ闇を抱えている。それはトラウマかもしれない。コンプレックスかもしれない。尊大なる自尊心かもしれない。それは分からない。

 

分からないものを、わからないままに、それでも人はつながれるし、一緒に生きていける。別に、その人を全人格的に、すべてを打ち明けて、「愛する」必要なんかない。生半可な覚悟なら、その人の闇に対し、踏み込んでいくべきじゃない。その闇は、その人がその人自身で救われなきゃならないもんかもしれないのに、他人が手を出すことで、決定的に失われることにもなりうる。

 

だから僕は、人を、「好き」であることはあると思う。好きは、ある人の傾向を、おおよそ好む、という姿勢だ。愛ほど全人格的ではないけれど、愛ほど、人を傷つけない。人の闇に踏み込まない。そんな感情。

 

まあ、よほど闇にとらわれそうな場合は、せめて、焼き肉食べに行ってカラオケで全力で叫び二日酔いで死ぬぐらいの酒を呑む。健康ランドで垢すりとか温泉でも良い。とにかく身体を、強制的に、アッパーにする。闇が、どうでもよくなるくらい。