シミーのブログ

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『天気の子』 新宿という街

新海誠監督、『天気の子』は、新宿が物語の舞台だった。

基本的に、ここからはネタバレしかないというか、そんな感じです。

 

新海監督で新宿といえば、『言の葉の庭』である。あれも、雨だった。新宿という街は、渋谷のように動乱が起こらない。騒乱は起こる。原宿のようにスタイルは生まれない。不思議な出会いは生まれる。混沌として、あらゆるモノがあり、猥雑として、多様なモノを受け入れてくれる街だ。

 

振り返ってみると、新宿にも神社がある。小さな社がある。

『天気の子』のヒロイン、陽菜は、ある日、願う。晴れることを。病床の母と、晴れた天気を一緒に見るために。強く、切に、代々木の小さな社で「願った」。願いは聞き届けられ、陽菜は「天気の子」となる。離島から東京に家出してきた少年・帆高と出会った陽菜は、東京の、あらゆる人たちが願う天気を・晴れを・実現していく。さながら、巫女のように。

 

物語の主人公である帆高は、東京になじめない。「子ども」に対し、この街は優しくない。彼には、武器が必要だった。それが、物語の冒頭付近でふと手に入れてしまう、拳銃だ。拳銃は二度、発射される。一度目は、訳も分からず彼女を助けるために。二度目は、世界の仕組みを理解し・それに抗った上で・彼女を救うために。

 

帆高少年を助けるのは、かつて東京に彼と同じように家出して出てきた、須賀という謎の男である。彼もなー、いろいろ背負ってましたね。冷蔵庫の乱雑な張り紙、「二つ」重なった指輪。「大人になれよ、分かるだろ」と帆高少年に言う須賀自身、もう自分に言い聞かせてますもんね。

 

そうつまり、帆高少年は、3年経った後、「青年」になるのだけども、天気の子・陽菜と一緒にいた帆高は、決定的に少年だった。陽菜も、少女だった。少年にとって、拳銃という武器が大きすぎるのと同様、1人の少女にとって、「天候」という巨大な存在に願うことは、大きな代償を伴うものだった。それが、「願い」だ。陰陽師もそうだ。神さまを、使役する際に、供物を差し出す。願いは、対価を要求する。

 

フリーマーケットをする人にとって、外で駆け回りたい幼稚園児にとって、競馬場で雨に弱い馬を応援したいおじさんにとって、「晴れること」はささやかで、小さな願いだ。けれど、そうした小さな願いを集めていくと、人智を超えた願望になる。その代価を、陽菜独りに背負わせることを明確に拒絶したのが、帆高少年である。

 

だから、「世界を決定的に変えてしまったんだ。」は大げさでなく、文字通りの意味だった。けれど、その変わった世界で、人は従来どおりちゃんと、生きていくことができる。そして、ラストシーン、陽菜は、重荷を背負った「願い」ではなく、ただ純粋に「祈る」ことができた。

 

新宿は、「都市伝説」のようにクールではないが、「伝承」くらいの、小さな奇跡が路地裏にありそうな、新しくて旧い街だ。新海誠が描く新宿は、まことに綺麗であった。