シミーのブログ

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『となりのトトロ』は好きだけど、村上春樹は嫌いな理由

となりのトトロ』は、要は、巫女なしで異界に行ける話である。たぶん、条件はある。子どものある時期にしか開かれていないとか。日常の、リアリスティックな世界に、ちょっとはみ出してくるこの世ならざるモノ達との不思議な交流。確かに、暗闇のなかに、「まっくろくろすけ」みたいなモノを想像できるのは、子どもの、ある時期だけかもしれない。

 

いっぽう、村上春樹作品も、しばしば、リアルな現実からちょっとはみ出す話である。ホテルで少し降りる階を間違えたら「羊」がいるとか。ただ、たとえば『ノルウェイの森』におけるレイコさんとかそうだったけど、その異界に至る過程において、儀式みたいなものを彼はおく。相撲取りが神事としての相撲を神さまに捧げる前に塩をまくような感覚で、その巫女的な女性とのにゃんにゃんを、「必然」「そうしなければならなかったこと」みたいに捉える。

 

たぶん、村上春樹が苦手な人は、その辺がしっくりこないんじゃないかと思う。異界との接点におかれている巫女的女性に、あまりに主体性がなく、また主人公男子の側もなんか成り行きでそうなってるみたいな。そんで女性の方はしばしば消えるから責任負わないみたいな。そんな感じが、生理的にちょっと。

 

この辺はまあ、セクシャリティの問題もあるかもしれない。とかく、男子は責任を逃れたいものだから。ただ、そういうリアルな視点を入れてしまうと、とたんに村上春樹ワールドには入れなくなる。メイちゃんが、トトロの穴を再び発見できなかったのと同じで。メイちゃんは最初、どんぐりをこぼしていくミニトトロを、無心で追いかけていた。そうしたら、穴を通じて、トトロに会うことができた。

 

ただ、二回目は、真偽を確かめるべく。サツキという、わりに現実的な見方をするお姉ちゃんに証拠を示すべく出発したから、異界に入ることはできなかった。トトロは儀式なしで現実と、ふっと通じることができる。できるけれど、それは意識的にはできない。

 

トトロも、でも、お母さんにとうもころしを届けるべく、奔走するメイちゃん達の背中を押したりもする。この辺が、ちょっと不思議でもある。トトロは基本的には、善でも悪でもなく、ただとなりに「居るかもしれない」存在である。であれば、トトロが彼女たちを助けたのはどうしてだろう?夏休みのたびにトトロを見続けてもよく分からぬ。

 

とあれ、トトロは助けてくれる。いっぽう、村上春樹の異界のモノ達は、巫女を通しての儀式を通じてそこに行けたとしても、特に助けてくれるわけでもない。ここは解釈が難しいとこだけど、村上春樹の描く異界は、深海のように、僕らの深層意識にあるモノそのもので、トトロよりもずっとずっと内向きなのではないかとか。

 

そんな、共通点と差異。