シミーのブログ

好きなもの。読書会、少女マンガ、人文系、宇宙、社会学、ノンフィクション、、、と、好きなものを羅列していけば何かがつかめる気がしています。ブログは主に世の中に対するぼんやりとした主張です。よろしくお願いします。twitter @koro81k

「暗いから」という理由で文学の話をしない人向けに。

「暗いから」という理由で、明るい場所(飲み会などの場)で文学系の話をしない人の話をきいた。谷崎『陰翳礼賛』で書かれていたごとく、陰があるから綺麗なモノ・明るいモノがより映えることは間違いない。問題は、それで他人が説得できなことだ。いくら、人の闇が楽しいよって話をしたところで、それは個人的な感性に依存することなので、通じない時はとことん通じないし、そうして明るい場所の空気を澱ませることになる恐れが、本の話を公共の場から遠ざけている。

 

でも、「恋バナ」とか、ニヤけ満載のハッピーエンドばっかりじゃないじゃないですか。付き合っている人のダメさとか、場合によってはそれぞれの性癖とか、自分の恋に対する信念みたいなものとか。綺麗じゃないことを、それでも面白おかしく話せてる。

 

それではなぜ、文学ではこういうことがしづらいのか。

 

たぶん、「知ってなきゃいけない意識」があるせいな気がする。

夏目漱石芥川龍之介太宰治三島由紀夫村上春樹。を。読んでなきゃいけない、知ってなきゃいけない、なーんて意識が問題なのだ。恋とかは、まあ、片思いまで含めれば、たいていの人はカタチは違えど経験してる。もっといえば、経験した気になってる。でも、その本を読んだかどうかは、はっきりしてしまう。読んでないものは読んでない。

 

そうした、基本的な前提知識が共有されていない感じなので、明るい話題ならともかく、暗くて重そうな話題だと、みんな戸惑う。どう反応して良いか、それは普段のノリにそんなモノがないから。

 

で、あれば。その物語を説明すれば良い。その際、巧くできたかどうかよりも、自分の熱意っていうか、こだわり?の部分を強調していくと、それはほとんど恋バナのようなモノに変わる。「この登場人物がここでこういうこと言うのマジ信じらんないんだけどさー」みたいな。

 

聞く側も別に、それを知らないことによるコンプレックスみたいなもんを持つ必要なんかない。そういったコンプレックスを抱かせるのは「何か」を考えたとき、別にないじゃん?内閣総理大臣が「そんなことも知らねーの?」ってその人にプレッシャーかけるわけじゃないし。また、読んだ本を話す側も、読んだ内容はたいてい忘れるものだし、本の読み方・捉え方もそもそも自由なのだから、論理とか無視して良いのだ。

 

1つ、説明する際に注意することがあるとすれば、難解な言葉とか表現を難解なままに言ってもいけない、ということ。それこそ、「俺賢いぜマウンティング」と捉えられ、本筋が伝わらなくなる可能性がある。日常の、よく響く言葉なら、人の暗い面を伝えたって、楽しめる。

 

そういうことで、読書会へ行こう。