シミーのブログ

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他人のことはいくらでも分析できるのに自分はできないのは何故か 『何者』論

朝井リョウ『何者』は、就職活動に奮闘する大学生5人を描く群像劇である。最後にマジかーって返しがあるので詳細は控えるけれど、このうちの1人は、分析を得意としている。他人の状況を客観的に把握し、的確っぽいアドバイスをしている。まあ、こうしたアドバイスができるのにも理由があったのだけれど。

 

他人について、評価をすることは簡単だ。簡単というより、こんなもんじゃね?という線引きをしてしまえば、深く入りこまなければ、表面的なところで抑えておけば。簡単だ。本当は、誰かがある行為をする時、たとえば「就職活動をしない」という決断をした時、世の中全般へのレジストとかそういうことを標榜していても、実体は違うこともしばしばある。

 

けれど、そうした内面の葛藤を脇において、「新卒一括採用のシステムに乗っかるだけの世の中の連中みたいな生き方は、俺にはできない。だから、就職活動はしない」という表面の理由づけと行動だけを切り取って、分析することは簡単にできる。「世の中の流れに反対とか大きなことを言っているが、君は実際には何もしていないし、何でもない自分を見つめることが怖いだけじゃないか」とか。

 

ただ、こういった他者への分析・評価は、そのまま自分にも返ってきたりする。自己充足していて、自分がこうあれば大丈夫、という人は、他人を評価しない。する必要がない。他人を相対的劣位に追い込み、自分の優位性を常に確認しないとやっていられない人が、他人を分析し、評価する。

 

だから、問いかけ自体が。「他人のことはいくらでも分析できるのに自分はできないのは何故か」という問いかけが。ちょっと違う気もしてきた。「自分でできないヤツ」が、「他人のことを分析」するんじゃなかろうか。とすれば、どっちが先か分からないけれど、他人のことにかまけて傍観者でいるうちは、何事も成しえない。皮肉も冷笑も嘲笑も、何も生まない。

 

難しいですけどね。何かを成したり、何かを生み出した人は、他の人に対して「俺になれ」型でぐいぐい行くか、他人は他人として別世界を尊重するか、そういう方向に行く気がする。だから、良き指導者の方とかは、偉大な記録とかを成した人より、その記録は達成できなかったけどものすげー自分のことを分析して努力した人、の方が向いてるんじゃないか。

 

そう、まずは、自分のことを分析すること、が必要なのだ。

そうして自分を解体するのが怖いから、他人をバラバラにして悦に入ってる。

楽しくない。実に楽しくない。自分が主人公じゃないんだもの。

 

もっと楽しめば良いのに。と思った。『何者』