シミーのブログ

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「老害」って存在はいないと思うんすけど。

友だちって、ある時期を境に減少してくる。学校とかは、ある程度、生活環境とか価値観が似てる人たちが半強制的に集まる場所で、同じ活動(部活とか)をみんなで目標を持ってやるので、友だちができやすい。日本だと、ほとんど、全人格を学校に預けているから、学校を出た後も学生時代の友だちは続きがちだ。同時に、全人格を学校に預けているから、その場所で苦しい思いをすると、もうずっとその苦しみが一生続くみたいな感覚になって、しんどい。そのしんどさは人生のスパンでみると割と一瞬、って言ってみても、当事者のその瞬間には、なかなか届かない。

 

まあこの辺は、別の機会に考えてみるとして。

 

会社について考えてみる。会社にはミッションがある。仕事、というみんなで共同してやるものもある。でも、同僚はいても、友だちはなかなかできない。それは、学校がフラットな関係であるのに対し、たいがいの会社組織が上下の関係であるためだ。

 

もちろん、学校でも、先輩・後輩の別はあるけれど、会社の上司・部下ほどの決定的な差はない。そんで、この上司・部下は、民主的な方法によって決まるものじゃなく、上の者が恣意的に、下の者の一部を、上に引き上げるカタチで行われる。だから、面従腹背で上司に部下は従ってはいても、全的に信頼していないケースはしばしばある。

 

外から与えられし、上下関係。

 

んで、いわゆる「老害」と言われる人たち。人間のライフステージにおいて、ある年代になったら総じて「害」になるってことはないと思う。ナチスがいかに悪かろうとも、すべてのドイツ人が極悪であったわけではない。それはみんな、薄々分かっている。分かっているけれど、老人が横暴なことをしていると、「老害」と言わずに思わずにいられない。

 

これは、先の上下関係と関係がある気がしている。上下関係が染みついた人は、会社組織の外、特に何者でもない者同士の集まりにおいても、「上」からモノを言ったり行動したりする。本来、上下関係が好きな人って、あんまりいない。そんな中で、ずっと染みついたそんな行動をとるものだから、嫌われる。疎ましがられる。疎まれれば疎まれるほど、スクルージ爺さんのように、グレる。

 

こと日本においては年功序列の歴史が長かったので、こうした上からの押しつけを行うのは、総じてある年代の人たちだった。だから、若い下の人たちは「老害」と言うのだ。特定の害をなしているのが、その年代の人だけに見えるから。目立つから。

 

でも、当然、上からな人はどの世代にも一定数いる。そうした人はどんどんフラットな関係の友だちをなくし、害をなしていく。

 

んー。ちょっと、分析だけになってしまったけれど、こうしたことに関する処方箋みたいなのは別の機会に書きたい。

 

参考:

藤原智美『この先をどう生きるか 暴走老人から幸福老人へ』