シミーのブログ

好きなもの。読書会、少女マンガ、人文系、宇宙、社会学、ノンフィクション、、、と、好きなものを羅列していけば何かがつかめる気がしています。ブログは主に世の中に対するぼんやりとした主張です。よろしくお願いします。twitter @koro81k

なんちゃってマナーを蔓延らせるのはもうやめようって話

なんちゃってマナー、というものがある。かつては細木数子が「墓石に水をかけるなんて言語同断、あんた死ぬわよ」的ななんちゃってマナーを宣っていたが、彼女の論拠には根拠がない。仏陀が言った?最澄空海日蓮法然がそんなこと言った?言ってないよぉ。亡くなった人も大事だけど、生きている人が亡くなった人に想う気持ちが・大事だ。墓石ができたのはそもそも近世の後期くらいからで、つーかその前は古墳とか、ある程度身分がある人じゃないと墓ってなくて、だから、今を生きる僕らが大切に、扱いを決めて良い。

 

マナーは、ある程度、人間関係が円滑になる制度。明文化されていないけれど、要は、「我々はこういう態度であなたに臨むので、あなたも、我々の期待に沿うように行動してくれたまえ」ってことだ。予測可能性。僕は動物とか苦手なんだけど、それは、アルパカとかいつ唾を吐くかとか予想ができないからで、予想ができないと、人は不安になる。だからマナーは、そうした予測可能性を、空気みたいにふわっと制度で整えたものだ。柔軟性のない人ほど、マナー違反=自分の予想を裏切ること、に対してキレる。

 

でも、もうそういうの、平成で置いてきませんか。

 

飲み会の場所で、サラダを取り分けるとか、そういうの、もう良いでしょ。嫌いなものってあるし、なんならアレルギーだってあって命の危機になる食材だってあるんだから、各自でとりなよ各自で。

 

ひどいのは、その人がその人だけの信念体系で創り上げる、なんちゃってマナーを人に強制することだ。いちおう、僕らはいま、多文化社会に生きている。心の中で、何を思おうと自由だが、他人に強制してくるのは許しがたい。そういう社会。でもそういう社会においても、自分の信念体系を拡散したい人っていうのは存在していて、それがマナーって衣を被せてきたりする。

 

いわく、徳利のクチが切れている部分を相手に向けるのは、相手との「縁」を切るという失礼な行為にあたるので、酒を相手につぐ時はその切れ目を相手に向けないようにしろ、とかね。いや、謝れ。徳利を人が使いやすいように工夫してきた職人たちに謝れ。

 

しかし、自分が慣れない場所に行くと、どう振る舞って良いかが分からず、そこで指針を示してくれるモノに、何となくすがりたくなる、という気持ちも分かる。何はともあれ、隣の人を真似るのが無難だから。けれど別に、「その場にふさわしいふるまい=マナー」ってのは、実在しない。夏目漱石だって、近代的自我のために墓に小便をかけた。気持ちなのだ、要は。自分がどう在りたいか。

 

というわけで、なんちゃってマナーは、平成に置いてゆけ。