シミーのブログ

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「痩せたねぇ、癌?」と気軽に言い合える友だち

日曜にやってる「僕らの時代」ってテレビで、リリー・フランキーが往年の監督と俳優の会話を語っていた。「丹波ちゃん痩せたねぇ、癌?」とか言い合って、ゲラゲラ笑っている。なんかこう、こういう雰囲気は、いいなぁ、と思う。

 

歳をとることでしか、分からない痛みがある。身体的にもそうだし、精神的にもそうだ。病気にもなりやすくなる。もちろん若くたって病気になるし、病気っていうのは「病気じゃない自分」から「病気である自分」に強制的に移動させられる現象で、可能性がご年配より開かれ気味の若者にとって、可能性を狭められるそれは、特にしんどいことかもしれない。

 

年齢を重ねると、経験値が増える。経験値が増えるってことは、それまでに見えてなかった選択肢が見えるってことだ。若い時のように行動でぶつかる前に、事前に、予想できる。予測できる。もしもそうした予想ができないような歳の取り方をしていたら、ちょっと生き方を考え直した方が良いかもしれない。いずれにしろ、そうした状態で病気になると、病気後のことが、うすぼんやりわかる。わかるから、受け入れる準備もできやすい。

 

そして、そうした準備ができていると、他人の痛み、病気についても、なんとなく察せられる。さらに、察した上で、病気になった他人を「病人」として扱わない。「友だちが」癌になってる、って見方をする。「癌になった」友だち、ではない。友だちを、病人って枠に押し込めない。その友だちの生き方・人間と付き合いを続けて、彼の彼女の病気をその友だちの一部として受け入れる。

 

もちろん、この関係が家族であるとか、そういうことによって、この受け止め方は違う。家族だともっと深刻かもしれない。けれど、前述の丹波哲郎と某映画監督のような関係だったら、病気のことをネタにして笑い合うくらいが良い。だって、友だちなのだもの。

 

ものすごく近い人(家族とか)や、ものすごく遠い人(病気のことだけを通じてその人を知った人)だけが、シリアスな感じになる。まあ、もちろん、互いの気持ちを推しはかった上で笑い合っても良いんだけど。とあれ、友だちは、ものすごく近くもものすごく遠くもない、ちょうど良い距離感にいる、人間関係だ。だから、笑い合える。ああ、俺の時は死ぬかと思ったよ、みたいなカタチで。

 

そう、病気がその人の人生を確定させるわけじゃない。「病人」という人生を送ってる人はいない。その人の人生に、病気がくっついてくるケースがあるだけだ。だから、友だちだから、病気を笑い合える関係が、いいなぁ。