シミーのブログ

好きなもの。読書会、少女マンガ、人文系、宇宙、社会学、ノンフィクション、、、と、好きなものを羅列していけば何かがつかめる気がしています。ブログは主に世の中に対するぼんやりとした主張です。よろしくお願いします。twitter @koro81k

「話しても分からないヤツ」はわりとたくさんいるので、コミュニケーションは基本、絶望。

コミュニケーションは絶望から始まる。僕の声は相手に届かないし、相手の声も、僕には届かない。良識派の犬養元首相は「話せばわかる!」と信じていたけれど、2010年代も終わりに近づいて分かってきたのは、「話しても分からないヤツは確実に存在する」って事実だった。

 

今までと違うのは、その、「話しても分からないヤツ」が俺の私の話を聞け、と、他人に対して押し付けるようになってきたことだ。たぶん彼ら彼女らもまた、抑圧されていた。立場の強い弱いに関係ない、心のうちにある、コンプレックスの問題である。立場が弱くとも、きっちり自分を持っている人はこんな風にならない。立場が強くとも、その自信の元が貧弱なのであれば、話が通じず自分の話を他人に押し付けようとする、ネチッこい人間になる。

 

今までは、階層ごと、同じ共有体験を持つ同士ごとにクラスタで分かれていたのが、現代社会はよくも悪くも流動性が高まったので、交通事故のごとく話の分からないヤツに遭遇することも増えてきたわけだ。

 

僕はもう、この辺は諦めた。話が通じないヤツは確実に存在するし、こーゆうヤツからは距離を置くしか対策がない。僕はこいつの身内でも友だちでもないから彼の彼女の人生に責任は持てない。他人なのだ。どこまでも。

 

けっきょくのところ、他人の言葉で自分が変わる、なーんてことはない気がしていて。自分を変えるのはあくまで、自分が発する言葉なんじゃないだろうか。

 

道でぶつかって相手に乱暴な言葉をぶつけられてそれが外国人っぽかったりすると「くそ中国人が!」とか、思わず言ってしまうような時。その、自分が思わず発してしまう言葉に、普段はリベラルを気取っていたとしても、潜在的な、どうしようもない差別意識が見えちゃったりする。それを自覚することから、自分が始まったりする。

 

相手からかけられる言葉は、だから、自分が変わるための言葉を発するための、起爆剤には、なりうるかもしれない。相手の言葉に賛同することを言った・相手の言葉に反発することを言った。どちらも、自分の心のうちを自覚する契機になる。この契機がないとそもそも、どこをどう変えたら良いかもわからないのだから。

 

話が通じないヤツとは、こうした、自分を変える言葉に気付かない連中である。彼ら彼女らはしなやかな自信がないので、自分をガチガチに固めようとする。現在の自分を強化するために汚ねー言葉を吐き続ける。その先にあるのは孤独と、薄汚いコンプレックスだけだ。

 

嗚呼、なんとヘイトに溢れた投稿だろうか。。。