シミーのブログ

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『鬼滅の刃』って面白いよねって話

鬼滅の刃』1シーズンアニメを23話観た。だから、コミックスで言うと6巻の中間くらいだ。楽しかった点を書いてみる。

 

舞台は大正自体の仮想・日本。この仮想・日本には人を喰う鬼が存在していて、その鬼を狩る鬼殺隊なる部隊がいる。主人公の炭次郎は、家族を鬼によって惨殺され、唯一生き残った妹も鬼化してしまうが、「妹を元に戻す方法を見つけるため」「もう家族のような犠牲者を出さないため」「復讐するため」に、猛烈な修行を経て鬼殺隊に入隊する。

 

面白いなぁと感じるのは動機の部分で、鬼の方は、すべての鬼の元祖たる鬼舞辻無惨という大ボスがいる。現時点で感じるこの大ボスの根源には、「不安」がある。不安が彼のすべての行動の元になっているので、少々の批判があるとそれに耐えきれず、メッチャ攻撃的になる。鬼が基本的に群れない、という習性を持つのも、すべての鬼がこの鬼舞辻の血を分けた存在であるとこにも起因していて、不安とか恐怖とかによって鬼の自己が確立しているので、群れない・のではなく・群れられない、のである。相互不信がありすぎてつながれない。

 

さて、主人公の炭次郎。彼の技の基本にあるのはその「呼吸法」なのだけれど、これが「家族を殺された怨み」を刺激されると、当然に乱れる。呼吸は浅くなり、炭次郎が才能を見出された時に言われた言葉、「考えろ」もできなくなる。つまり、鬼側の動機と同じになる。怒りと憎悪と不安。同じ動機だと、経験値と修行が足りない彼は鬼に勝つことができない。

 

ここで、重石になるのが彼の妹である。鬼化した妹は、鬼としての本能(人を喰う)に抗い、ギリギリで人間の側に踏みとどまっている。妹の、兄に対する絆だ。彼女がいることによって炭次郎は、「彼女を守らなければ」「もう彼女のような犠牲者を出すわけにいかない」という、人間側の希望を背負って戦うことができ、「呼吸」の乱れも戻して戦える。だから、炭次郎のここまでの戦いは、技術・パワーのぶつけ合いというより、精神力の戦いだった。鬼側と同じ動機に引きずられたら、単純にパワーの強い方が勝つわけで、未熟な炭次郎が勝つには希望と絆が必要だった。

 

というのが、19話「ヒノカミ」まで。

 

大ボスの鬼舞辻には、当然に側近がいる。12の鬼たち。炭次郎の希望と絆の話は、この側近までには届かない。希望と絆だけでは到らない。結局、この側近を破ったのは鬼殺隊の“柱”(=神の数え方だよね)と呼ばれる精鋭たちだ。鬼を殺す専門機関なので、柱たちは、やはり鬼たちに強烈な憎悪を抱いている。だから、柱のほとんどは、炭次郎が鬼を連れていることを認められない。

 

世界Aと世界Bがある時、当然に、グラデーションがある。境界があって、壁があって、すべての人がその線引きの内側におさまるわけではない。越境者がいるし、境界を行く者がいる。鬼なのに人間の方につく者がいれば、人間なのに鬼に味方する者もいるだろう。物語を駆動させていく上で、炭次郎と妹は世界Aと世界Bの間で揺れるわけだけれども、今後は炭次郎は、自身と理解者だけでなく、非・理解者(鬼殺隊のエリートたち)に証明していかなければならない。必ずしも、最初から自分を好意的に受け止めてはくれない相手との、対話。ようやく、社会に出るわけだ。

 

カタチとしては『鋼の錬金術師』に似ているけれど、ハガレンエドが最初から錬金術師としての能力がMAXだったので、主にエドと弟の心の成長譚であった。『鬼滅の刃』は素朴に体力・技術が未熟なので、先のような精神の成長と一緒に新たな技なども身に着けていくと思われる。これは流行るなぁ、確かに。